2013年4月28日日曜日

下仁田こんにゃく

植え付け作業 真っ盛り!!!

下仁田町では、下仁田ねぎと並ぶ名産「下仁田こんにゃく」のもとになる〝こんにゃくいも〟の植え付けが始まっています。

ここでご紹介させていただく画像は、昨年の5月に松浦貞夫さん、ヒサ子さんご夫妻のご協力をいただき、撮影させていただいたものです。

この画像のこんにゃくいもは、2年目のものです。収穫したこんにゃくいもについていた子ども(これを生子(きご)といいます)を植え付け、それを秋に掘り出し、寒い冬の間、保温した部屋で保管しておいたものです。

芽が伸びているのがおわかりになりますか。
伸びる芽を上に向けて、ひとつひとつ丁寧に植え付けていきます。


きれいに植え付けが終わり、このあと土をかぶせていきます。

こんにゃくいもは、たいへんデリケートな植物です。
すぐに病気にかかったり、害虫に攻撃されますと、簡単に負けてしまうほど弱い植物です。
強い風が吹き、こんにゃくいもの葉がもまれて傷つきますと、そこから腐ってしまう・・・といったこともあります。

こんにゃくいもを栽培する農家の方々は、植え付け前の土づくり、植え付け後の管理で、秋の収穫まで気が抜けない毎日を過ごします。
秋に無事に収穫できたあとは、翌年の植え付け用の種いもを保温して、きちんと保管するという作業が続きます。

こんにゃくいもを栽培する農家の方々は、気が休まるときがない生活を送ることになります。


くりっぺ(下仁田自然学校だより)第71号(ことしの6月に発行予定)に、こんにゃくいもの栽培に関するお話しを掲載させていただく予定です。

下仁田町馬山地区で、こんにゃくいもを栽培されている松浦貞夫さん、ヒサ子さんご夫妻にご協力をいただき、取材させていただいたことをまとめてみました。
こんにゃくいもの栽培に関するご苦労、下仁田の土壌とこんにゃく栽培、休眠してしまう生子のことなど、たいへん興味深い内容になっています。

くりっぺ(下仁田自然学校だより)第71号をお楽しみに!!!

2013年4月27日土曜日

下仁田ねぎ

植え付け作業、真っ盛り!!

    いまは、冬の鍋物に欠かせない
       下仁田ねぎ
       下仁田こんにゃく
            の植え付け作業が盛んに行われています。

きょうは、下仁田ねぎの植え付け作業を紹介します。

ねぎ苗を1本、1本、丁寧に植え付けていきます。
これを梅雨明けのころ、植え替えます。
夏場における植え替えは、暑い時期であり、たいへんな作業なのですが、これを行うことによって、風味豊かでおいしい下仁田ねぎになるといわれています。


そして、この時期、ねぎ坊主(ねぎの種)には、種がついたままです。

いま、植え付けているねぎ苗は、昨年の初夏に採種した種を使って、昨年の秋に種蒔きをしたものです。

これをことしの暮れに収穫するわけですので、下仁田ねぎは種蒔きから収穫まで、15か月もかけて栽培することになります。

下仁田ねぎの植え付け作業は、馬山丘陵をはじめとして、下仁田町のあちこちで見ることができます。

〝おいしい下仁田ジオパーク〟へお出かけください。

2013年4月12日金曜日

下仁田ジオ豆知識

下仁田構造帯について (その5)
 
下仁田構造帯には、南蛇井(なんじゃい)層、神農原(かのはら)礫岩層、骨立山(こつたてやま)凝灰岩層、下仁田層・富岡層群、平滑(なめ)花崗岩などがあります。

下仁田層は、下仁田構造帯のなかで、若いほうに属し、ほぼ2000万年前ごろの海底に堆積した地層です。
 
 
下仁田層からは、北のほうのやや冷たい海域の沖合に棲んでいたイガイをはじめとして、シラトリガイなどの化石が見つかっています。 
  

 富岡層群の小幡層も海に堆積した地層です。
下仁田層より若く、ほぼ1500万年前に堆積したといわれています。
 
  
 ここからも貝化石をはじめとして、サメの歯などの化石が見つかっています。
         (画像→落ち葉が積もっている状態)

下仁田構造帯について、
① 南蛇井(なんじゃい)層、神農原(かのはら)礫岩層、骨立山(こつたてやま)凝灰岩層、下仁田層・富岡層群、平滑(なめ)花崗岩などの8つの地層、岩体が入り組んでいること。
② これらは、激しい地殻変動があったことを物語るものであり、地層、岩体は、できた時代、できかたが異なっていること。
③ そして、それぞれが個性豊かなものであること。
この3点を覚えていただければ、下仁田ジオパークのご見学が、より楽しいごものになると思います。

   どうぞ、下仁田ジオパークへお出かけください。
 

2013年4月11日木曜日

下仁田ジオ豆知識

下仁田構造帯について  (その4)
 
神成山(かんなりやま)連山を紹介します。
下仁田構造帯の北縁になります。


高速道路(下り線)で下仁田ICに近づいてきますと、右側のほうになだらかな山脈(やまなみ)が見えてきますが、これが神成山連山です。


神成山連山の岩石は、平滑(なめ)花崗岩という岩石です。
平滑花崗岩は、およそ6400万年前にできたと考えられています。


神成山連山の尾根伝いは、きれいなハイキングコースになっています。
地元の皆さんをはじめ、多くの人々によって、ハイキングコースが整備され、「日本一きれいなハイキングコース」が自慢になっています。



              【私のおすすめコース】

上信電鉄の神農原駅で下車→宮崎公園(ツツジが有名、茂木家住宅とツツジの見学)→
富岡市立西中学校方面→登山道入り口→(あとは、上の画像「ハイキングコースご案内」を参照。日本一きれいなハイキングコースをお楽しみください)→
宇藝(うげ)神社参拝(尾根から下ります)→戻っていただいて、尾根に登ってください→
第9ピーク(途中の眺望をお楽しみください。また、岩石の観察もお忘れなく)→大サボテンがある家→
喜楽庵(国道254号沿いにある菓子店です。おいしい甘いものを食べて、お疲れの回復を)→上信電鉄の南蛇井駅

  

2013年4月10日水曜日

下仁田ジオ-風景

下仁田構造帯の〝絶景〟 
不通(とおらず)渓谷 

このあたりが下仁田構造帯の中心部になります。
 
骨立山(こつたてやま)からの眺望 
 
鏑川(画面の左下)に沿って、下仁田構造帯の地域を見渡すことができます。
画面中央の道路は、国道254号です。
画面がもっと鮮明であれば・・・河岸段丘のようすもよくおわかりいただけるのですが。

浅間山(せんげんやま) の中腹からの眺望

 
浅間山の中腹から南西方向を撮影したものです。

地層や岩石の観察も楽しいものですが、長い歳月のなかで、かたちづくられてきた地形の美しさを観賞する・・・これもジオパークの大きな楽しみです。

下仁田ジオパークには、それほど高い山はありませんし、それほど大きな湖があるわけでもありません。
見た目の迫力不足は否めないところですが、箱庭のようなこじんまりした美しい風景があちこちにあって、下仁田ならではの風景美を楽しむことができます。

春の花が咲き終わりますと、緑が美しい山々の季節になります。
たくさんの新芽が一斉に伸びるようすは、もこもこと山が動いているように見え、まるで山が成長しているように感じられることでしょう。

      新緑のころも美しい下仁田ジオパークにお出かけください。



 

下仁田ジオ豆知識

下仁田構造帯について (その3)
 
下仁田構造帯のなかにある骨立山凝灰岩(こつたてやまぎょうかいがん)を紹介します。
 
骨立山(こつたてやま)は、むかしは古嶽(こたけ)と呼ばれていて、いつのころからか骨立山(こつたてやま)と呼ばれるようになったとのことです。
国道254号沿い(下仁田町馬山地内)で撮影
下仁田に東京方面から自動車で来られる方のなかには、前方に骨立山の崖(骨立山凝灰岩)が見えてきたとき、下仁田にやって来た、ということを実感するとお聞きしたことがあります。
 
この山の尾根(上の画像の左側に近い場所)からは、馬山の丘陵、河岸段丘を見渡すことができます。
   (ここからのすばらしい眺望につきましては、のちほど紹介させていただきます)
「下仁田町と周辺の地質」下仁田自然学校発行から転載
下仁田構造帯については、このブログの(その1)において、地質略図を載せておきましたが、骨立山凝灰岩の分布は、このように東西方向に細長く分布しています。
 

放射年代の測定によって、5500万年前から6000万年前ということがわかっています。


青岩公園から浅間山(せんげんやま)方向をを撮影したものです。 
画像の後方に見えている崖が骨立山凝灰岩です。

          【観察のおすすめコース】

上信電鉄の下仁田駅下車県道南蛇井下仁田線小坂坂トンネル手前を右折
山道→[骨立山凝灰岩と神農原礫岩が交互に見えてきます。また、山際稲荷神社方面から登ってくる道と交差するあたりには、〝パワーストーン〟が入手できるかもしれない場所があります]→
このまま山道を進みます→山道の行き止まりになりましたらその先の山に入り、低い尾根のほうに進みます(尾根の高いほうに行きますと、浅間山の山頂方向に行けますが、このコースは、山登りの初心者では危険ですので、くれぐれもご注意ください)→
高圧線の鉄塔がある山頂に出ます→その先を電力会社の作業道に沿って下ります(途中で右に進みますと、この頁の冒頭に紹介した尾根に出ることができます)→
赤津(あかづ)地区赤津橋(鏑川の川原の石を観察してみてください)→
道の駅しもにた(休憩・食事・おみやげ)→不通橋(橋の上から渓谷の美しさを堪能してください)→上信電鉄の千平駅

  ※ 山道は、観察コースとして整備されていません。危険な場所もあります。
    十分に注意して、自己責任で歩いてください

2013年4月8日月曜日

下仁田ジオ情報

〝ジオ座布団〟 発売!!
 
下仁田町の寝具店「寝具の大島」では、下仁田ジオパークをイメージして、とてもすばらしい商品をつくりました。
 
 
下仁田ジオパークをイメージした5色のカラーです。
 
黄土色の座布団(上の右)は、下仁田町の名産品-下仁田ねぎ&下仁田こんにゃく-の産地としての大地をイメージしました。
その隣(上の左)は、世界遺産候補になっている荒船風穴の岩塊、冷気などをイメージしました。
下の左は青岩公園、下の中は秋の妙義山、下の右はクリッペをイメージしたものです。
 
 
寝具の大島の座布団ですので、座って心地よく、快適なのは当たり前.。
 
この座布団には、その当たり前+αのよさがあります。

なんと!!四隅に付いている紐によって、こんなふうに背負うこともできますし、四隅の紐をうまく結ぶことによって、いろいろな使い方ができます。
 
たとえば・・・座布団と座布団を四隅の紐で結んでつなげて、〝なかよし座布団〟にしたり、小さなお子様の〝抱き枕(おかけのように紐で、お子様と座布団を結んでおけば、車内で座ったまま眠っても快適、安心)〟にしたり・・・
用途は無限といえる座布団、であり、まさに〝すぐれもの一品〟です。

あなたなら・・・、この座布団をどのようにお使いになるでしょうか。
 
 

  下仁田ジオパークにお出かけの節は、「寝具の大島」へお立ち寄りください。
  
  
※ 下仁田町自然史館をご見学後、「いま、自然史館に行ってきたよ」とお伝えいただきますと、うれしいことがあるかもしれません・・・

         問い合わせ先 寝具の大島 
            電話 (0274)82-2432

下仁田ジオ豆知識

下仁田構造帯について (その2)
 
下仁田構造帯の地層、岩石は、どれもが特異なのですが、そのなかでも特異といえる(と私は思っています)神農原礫岩(かのはられきがん)を紹介します。 
 
神農原礫岩の特徴は、びっしり礫が詰まっていて、礫のまわりの砂などが少ないことです。
礫のほとんどが石英斑岩や花岩斑岩です。
はねこし峡の神農原礫岩
〝ずれ礫〟(下仁田町自然史館蔵・展示中)
 
 
ひび割れの割れ目にそって、ずれてしまっている礫があります。
この礫を〝ずれ礫〟と呼んでいます。
 
〝ずれ礫〟は、神農原礫岩が堆積して固まったのち、地下の深いところで大きな力が加わったことを示しています。
〝ずれ礫〟の状況を観察してみますと、ずれている方向等に法則性が見られず、それぞれが好き勝手な方向(?)を向いています。
このことは、長い間にいろいろな方向から力が加わり、あっちに押され、そのあとはむこうに引っ張られ、そして斜めに押し付けられ・・・といった複雑な動きの地殻変動が繰り返された結果、ということではなかったかと思われます。
 
いつ神農原礫岩が堆積したかについては、いまのところわかっていません。
礫に含まれる花崗斑岩は、およそ8500万年前と測定されていて、神農原礫岩の上に堆積している下仁田層は、およそ2000万年前に堆積したと考えられていますので、神農原礫岩は、およそ8500万年前からおよそ2000万年前の間に堆積した・・・、ということになります。
 
          下仁田構造帯の激しかった地殻変動を物語る
                         神農原礫岩の〝ずれ礫〟を見にお出かけください。
 
        【おすすめのコース -神農原礫岩の見学は、はねこし峡が最適-】
上信電鉄の下仁田駅下車→はねこし峡[ややピンク色がかった美しい神農原礫岩をゆっくりご見学してください]→志満屋菓子店(おいしい「ねぎ最中」をご賞味ください←このブログで、2013.3.18に紹介させていただいています)→町中の散策(下仁田のおもしろグッズをおみやげにどうぞ)→昼食(おいしいお店がたくさんあります)→青岩公園→下仁田町自然史館→上信電鉄の下仁田駅

2013年4月7日日曜日

下仁田ジオ豆知識

下仁田構造帯について  (その1)

構造帯とは、「狭い地帯に何種類もの地層や岩石が、複雑な地質構造で存在する地帯(「下仁田町と周辺の地質」下仁田自然学校 92頁)のことです。

下の地質略図をご覧ください。

狭いところにたくさんの地層があり、それらが入り組んだようすがおわかりいただけると思います。
「下仁田町と周辺の地質」下仁田自然学校発行から転載
構造帯(こうぞうたい) 
英 tectonic zone  (※引用にあたって、独・仏・露は、私が省略)
(1) 一つの構造形態がおもに分布し、他の地域と違う独特の構造発達史をもつ地域。最も大きい構造帯の区分は変動帯と安定地塊(安定大陸と大洋底)の区分である。変動帯は多くの構造線で境され異なった特徴をもつ構造帯に区分される。日本列島は大きく本州区・飛騨区・四万十区・日高区・フォッサマグナなどに分けられ、本州区には、北部北上山地・南部北上山地・阿武隈変成帯・中国帯・舞鶴帯・丹波帯・領家帯・三波川帯・秩父累帯などの構造帯が含まれている。<松井愈>
(2)構造線のうちで、ある程度の幅をもち、その部分だけで複雑な地質構造をもち、固有の発達史を示すようなもの。たとえば黒瀬川構造帯。<山下昇>
 「地学事典」(1984年・改訂版第4刷・平凡社から引用)

これから下仁田構造帯の地層について、ひとつずつお話しをさせていただこうと考えています。
下仁田ジオパークを見学していただく際に役立つと思いますので、ちょっと退屈かもしれませんが、おつきあいください。

最初にお話しする地層は、これまで鬼ヶ沢(おにがさわ)鉄橋、小坂坂(おさかざか)峠道を紹介してきましたので、この鬼ヶ沢鉄橋や小坂坂峠道の地域一帯に広く分布している南蛇井層にしてみました。

南蛇井層泥岩(下仁田町自然史館蔵・展示中)
南蛇井層からは、放散虫の化石が見つかっています。
これによって、南蛇井層は、中生代ジュラ紀後期に海の底に堆積した地層であると考えられています。

南蛇井層のほとんどに細かい割れ目があります。
これは、海底に堆積後、地下深いところでつよい力が加わったため、と考えられています。

一般県道・南蛇井下仁田線沿いで、南蛇井層-中生代ジュラ紀後期の海の底にあった地層-を観察することができます。
 ※ 一般県道・南蛇井下仁田線は、上信電鉄の千平駅で下車し、小坂坂峠道に向かう道路です。

  【おすすめの観察コース】

上信電鉄の千平駅下車→不通(とおらず)渓谷→一般県道・南蛇井下仁田線→鬼ヶ沢鉄橋→一般県道・南蛇井下仁田線(下仁田方向に向かって、右側の露頭で南蛇井層・平滑花崗岩を観察)→下仁田の町中→昼食・散策(おみやげ)→青岩公園→下仁田町自然史館(下仁田構造帯の岩石をはじめ、いろいろな化石なども展示されています)→上信電鉄の下仁田駅

2013年4月4日木曜日

化石の話

クーペリナ・ニッポニカ
 
 

           栃木は昔、テキサス州だった?化石が補強材に
 栃木県佐野市葛生化石館は2日、葛生地区の石灰岩地層から、約2億7000万年前の古生代ペルム紀に生息していた腕足動物の一種、クーペリナ属の化石が見つかったと発表した。
 
 化石館によると、クーペリナ属の化石発見は国内では初めて。1960年代には米テキサス州西部でも発見されており、化石館は、葛生一帯がかつてテキサス州近くにあったとする説を補強する発見としている。
 佐野市葛生化石館によると、腕足動物は古生代に繁栄した海の生き物で、2枚の殻がある。貝にも似ているが、それぞれの殻の大きさが異なる。その中で、クーペリナ属は熱帯性の浅海に生息したとされ、大きさが微小であるのが特徴だ。
 昨年夏頃、化石に詳しいマニアが石灰岩の塊を化石館に持ち込み、田沢純一・新潟大名誉教授の協力を得て調査を進めてきた。その結果、塊から計13個体を発見した。大きさは約2~2・5ミリだった。
 クーペリナ属は1966年にテキサス州西部で最初に発見された。その後、ベネズエラ、タイ南部でも見つかり、計3か所で5種類が報告されている。今回の13個体のうち11個体は5種類いずれもと特徴が異なり、化石館は新種として「クーペリナ・ニッポニカ」と名付けた。今後、日本古生物学会が発行する英文誌に論文が掲載される予定。
 葛生地区の石灰岩地層からは多くの化石が見つかっている。一帯は古生代ペルム紀には赤道付近にあり、生物が多い温暖な小島だったとされる。ただ、中国大陸近くだったなどとする説もある。化石館の奥村よほ子学芸員は、「今回、テキサス州西部と同じクーペリナ属の化石が見つかったことで、小島がテキサス州の近くにあったとする説の補強材料になる」と説明した。
2013431113  読売新聞)
 
私がブログで〝化石探し〟講座を始めたところ、偶然にもいろいろな化石発見ニュースがあって、化石探しが大好きなひとりとして、とてもうれしく思っています。
 
この記事のポイントを見てみましょう。
 
① やはりチャンスは、だれにでもある!ということ。
この記事では、化石に詳しいマニアとしか発見者のことが書かれていませんが、違う報道では、岐阜県にお住まいの方とのことです。
岐阜県にお住まいのアマチュアの方が栃木県佐野市で発見した化石、ということになります。
 
② そして、研究熱心であるということ。
 この化石を発見された方は、自ら化石を含む石灰岩を化学処理して、腕足動物の化石を発見したうえで、佐野市葛生化石館に持ち込んだということです。
たいへん小さな化石ですので、すぐすぐ見つけられるというものではないと思いますし、これほど珍しい化石であれば、発見できたことじたいが奇跡のようなものです。
そうしたなかで、この大発見に結びつけたわけですので、とにかく研究熱心な方である、ということがいえるのではないでしょうか。
 
下の写真は、葛生の石灰岩です。たくさんのフズリナがおわかりになると思います。
撮影:2012.9.8
このような石灰岩のなかから「クーペリナ・ニッポニカ」が見つかったのではないでしょうか。
    ※画面の左上の葉は、下仁田ねぎです。

 
③ この化石の発見によって、地球のおいたち-栃木のおいたち?-がわかること。
アメリカのテキサスから栃木へやってきたかも・・・といったことがわかるのです。
ほんとうにすごいことだと思いませんか。

下の写真は、下仁田で発見したフズリナの化石です。

撮影:2012.9.8
 
葛生の石灰岩と比べ、下仁田の石灰岩には、フズリナの数がきわめて少ないことに気づかれたことと思います。

石灰岩が形成されるときの状況によって、フズリナがどのような姿で残るのか・・・といった違いもありますし、フズリナのほかに、どのような生物がいたか・・・といったことも化石産地によって、大きな違いがあるといえますが、下仁田町でも「クーペリナ・ニッポニカ」が見つかるのではないだろうか・・・と、そんな気持ちになったニュースでした。

近いうち、下仁田町でも「見つかったよ!」というニュースを発信したいものですね。



2013年4月3日水曜日

私の体験的〝化石探し〟講座

                  第7回   化石探しは、根気と運???

「化石探しにコツがありますか」と聞かれることがあります。
私は、「化石探しにコツはなく、根気よく続けられて運がよければ、ということではないか」とお答えしています。
化石産地に出向いて、すぐに見つけることができる化石もありますが、珍しい化石に関しては、なかなか容易に見つけることはできません。

たとえば、下仁田方面では、新生代の化石は比較的容易に見つけることができますが、中生代の化石となりますと、簡単に見つけることはできません。
撮影:2011.10.23

1 根気・注意力

何度も何度も足を運んで、黙々と岩石を割る作業を続けることになります。
ハンマーでたたいて岩石を割ったり、鏨をつかって岩石を割ったりしますので、腕は疲れてきますし、同じ姿勢での長時間の作業によって、腰も痛くなってくる、といったこともあります。

また、私の場合、蛇と毛虫が嫌い、ということもあって、化石探しには晩秋から春先までに出向くのですが、昼間でも薄暗い山の中や川原にいますと、とても寒く、体の芯まで冷え込んできます。

※ 冬枯れの時期は、蛇と毛虫がいない、ということのほか、葉が落ちて、見通しがよくなっていて、フィールドの観察に適しているということもあります。寒さへの対応さえできれば、冬枯れの時期は、化石探しの適期ではないかと、私は考えています。

こうした作業が続けられるかどうか・・・が、まずは化石探しを楽しめるかどうかのポイントになるのではないでしょうか。

そして、根気といったことに関連して、注意力を高めることも必要なことであると思います。
化石のなかには、微細なものもありますし、断片のような状態で見つかる化石もあります。すべてが、完全な個体で見つかるということはありません。小さな破片のみ、といったこともあります。

これまでの講座において、必要な用具にルーペを含めていませんでしたが、できればルーペも持っていると便利ではないかと思います。

注意力を高めるためには、いろいろな化石を探して、どのような状態で見つかるものなのか、といったことを多く体験するとともに、化石図鑑等でいろいろな化石を調べておく、といった予習も効果的ではないかと思います。

小さな化石であっても、それが破片のようなものであっても見逃さない、といった気持ちで、化石を探すことが大事ではないかと思います。

2 運・観察力

この講座において、中学生が肉食恐竜の化石を発見したというニュースを紹介し、その前には、だれもが化石探しによって、化石の発見者になれる、ということも申し上げました。

中学生が発見したという事例をもとに考えてみるとき、これは単に運がよいといったことではないと思うのです。
中学生が発見した化石は、中学生が〝発見〟する前に多くの人が見ていたのではないでしょうか。

どうして、中学生が化石の発見者になれたかといえば、何人かが見逃していたものに対して、「これは、なんだろう?化石かな??」と思って、それを手に取った、という行動をしただけ、といってもよいでしょう。
化石を発見した中学生は、運がよかったということでなく、観察力が鋭く、実際の行動に移せた、この行動がすばらしいことであるといえるのではないでしょうか。

つまり、ただ漫然と見ているだけでは、すばらしい機会を自分のものにできないということなのです。←これは、私への戒めであります。

やはり、普段から観察する力を磨いておくことが重要なことといえるでしょう。

では、まったく運というものは関係ないかといえば、そのようなこともないと思います。
たとえば、私が割った岩石の中に貴重な化石が含まれていたにもかわらず、もう一回ハンマーで割ることをしなかったがために、これを発見することができなかった・・・ということもあるかもしれませんから。

   いずれにしましても、化石探しは、とてもおもしろいものです。

     けがをしないように気をつけて、化石探しを楽しみましょう。

2013年4月2日火曜日

私の体験的〝化石探し〟講座

      第6回    化石を採取したときは・・・
 
1 クリーニング
 
家に持ち帰って、〝クリーニング〟という作業を行い、岩石(この岩石を「母岩」といいます)から化石を取り出します。
母岩から取り出す(分離)ことなく、母岩に付けたままでもOKです。
あまり大きな母岩は、小さく整形しますが、その化石の特徴部分がよく見えるのであれば、母岩に化石を付けておいたほうがよいと、私は考えています。
撮影:2012.2.25
上の写真 = 子どもが化石のクリーニングをしているところです。
 
私は、ホームセンターでコンクリートに打ち込む釘を購入し、それを使っています。
静かに、慎重に・・・といった作業であり、とても神経をつかう作業です。
 
残念ながら私は不器用であるため、この作業がとても不得意ですが、化石採取後のクリーニングは大切な作業ですので、じょうずにできるようにがんばってください。
 
2 これは、ひょっとして・・・というときは
 
採取してきた化石のなかで、『これは、ひょっとして・・・』という化石があるときは、お近くの博物館などに持参して、鑑定していただくことも必要です。
自分の判断だけで捨てたりせず、専門家に見ていただくことによって、「貴重な化石だ!」ということがあるかもしれません。
 
博物館の学芸員(自然科学系の学芸員がいる博物館がいいですね。群馬県の場合であれば、富岡市にある県立自然史博物館がいいいでしょう)の方々は、いろいろ調べてくれると思いますので、遠慮せずに化石を持ち込んで、調査を依頼してみてください。
 
3 貴重な化石を大切に
 
クリーニングをした化石は、採取した年月日、場所などを記入したカードとともに保存しておきます。
私は、化石とカードをジプロックの袋に入れ、お菓子の箱の中に入れています。
化石を入れる小箱をつくられている方がいますが、展示する場合でなければジプロックの袋に入れておくことで十分です。
 
     【化石採取時の注意】
下の写真のようなときは、採取する前に樹脂の接着剤等をつかって、化石が割れてしまわないように〝前処理〟をしておきます。
撮影:2012.3.27
下の写真は、小さな巻貝の化石ですが、たいへんもろいものでしたので、これは採取後に樹脂の接着剤で固めました。
 

 
私の場合、下仁田自然学校の先生方から化石のことなどを教えていただけるという、たいへん恵まれた環境で化石探しをしています。
 
下仁田自然学校の先生方が中心になって、「化石探検隊」という団体研究活動を始め、アンモナイトなどの化石探しも行っています。
 
下仁田自然学校の活動にご興味のある方は、
 
  〒370-2611
   群馬県甘楽郡下仁田町大字青倉158-1
   電話(0274)70-3070  FAX(0274)67-5315
     mail nenasi@juno.ocn.ne.jp
 
まで問合せてください。
 
              下仁田自然学校でご一緒に活動しませんか。
 
※ 下仁田自然学校までは遠くて・・・という方は、お近くにある博物館等が実施している野外観察教室といった事業に参加され、いろいろな情報を得るというのもよい方法ではないかと思います。
博物館主催の事業に参加されて、博物館の学芸員の方と仲よくなっておく、というのもいいことだと思います。

2013年4月1日月曜日

私の体験的〝化石探し〟講座

第5回 化石を探しに行きましょう。
 
実際に化石探しに出かける際の注意事項をはじめ、化石産地で気をつけたいことを述べさせていただきます。
 
1 まずは、自宅からいちばん近い化石産地へ出かけましょう。
 
化石産地によって、発見が期待できる化石が違いますが、まずは化石探しの第一歩として、遠い化石産地でなく近い化石産地に出かけ、化石を探すためのトレーニングをしてください。
最初から遠くの化石産地に出かけて大物を狙う、というのもいいでしょうけれど、まずは腕ならしといった考えで、近くの化石産地へ出かけてみましょう。
 
2 かならず行先を家族に伝えておきましょう。
 
これは化石探しに限らず、行先を明らかにしておくことは、とても大切なことです。まして、化石探しということになりますと、危険なことがないとはいえませんので、帰宅予定時刻とあわせて、かならず行先を家族に伝えておきましょう。
 
3 携帯電話を携行しましょう。
 
携帯電話をお持ちの方は、化石産地に到着した時点で、すぐに圏内か圏外かを確認し、圏外であるときは、通話ができるところに移動して、そこから「化石探しをする場所は、圏外で通話ができない。これから1時間間隔で、通話ができる場所に移動し、こちらから電話する」といった旨の連絡を家族にしておきましょう。こうした対応をしておけば、家族の方が安心すると思います。
 
それでは、化石産地に出かけましょう。

撮影:2011.6.5
この写真は、化石探しをしているところですが、画面右の斜面のような崖下に化石産地があることが多いものです。また、大水などによって、こうした沢筋では、倒木や大きな岩がごろごろしていて、足場もよくありません。
 ※ この写真では、ヘルメットをかぶっていませんが、安全確保のため、かならずヘルメットをかぶりましょう。
 
4 化石産地に着いたら、最初に周囲の状況をよく確認しましょう。
 
すぐに化石を探したいところですが、足元が安定しているか、崖の上に浮石などがないか、枯れ木などが落ちてくる心配がないか・・・といったことを最初によく確認することが大切です。
そして、危ないと思ったら近寄らない、といった判断をする、これがとても大事なことです。
 
5 つぎに地層を観察しましょう。
 
やみくもに岩石を割ったところで、化石を発見できるものではありません。まずは、露頭のなかに化石が含まれていないかをはじめ、地層を細かく観察しましょう。
これまでに得ている化石産地の情報で、〇〇層といった地層があらかじめわかっているときは、その地層の特色を確認してみましょう。
 
6 間隔をあけて、化石を採取しましょう。
 
単独での化石探しであれば問題ありませんが、何人かで出かけたときは、あまり近寄らないでください。化石探しに夢中になってきますと、ハンマーで岩石をたたくことに集中してしまい、割れた細かい石の行先を考えない、といったことになってしまうものです。
私は、これまでに何度か同行者のたたいた岩石の破片がからだにあたったことがあります。あるときは、ヘルメットにあたって、「コーン」といい音がしたこともあります。
幸いなことにけがをしませんでしたが、自分がけがをしない、同行者にけがをさせないといったことを考えて、化石を採取しているひとの近くでの化石採取はやめましょう。
  ※ 上の写真のように、きちんとヘルメットをかぶってください。
 
7 採取地点をきちんと記録しましょう。
私は、地図と野帳への記録とあわせて、上のような写真を撮影します。採取した場所にハンマーと手袋などを置いて遠景とともに撮影し、あとでレタッチソフトをつかって、画像に「この位置ですよ」という意味で、赤い矢印を入れておきます。
化石を採取したときの状況を細かく記録しておくことによって、あとあとの調査研究に役立つことになります。
 
8 いちばん気をつけたいこと
 
それは、むやみやたらと露頭を崩さないこと、そして割った石は、危なくないようにまとめて置いて、けっして散らかしたままにしておかないということです。
ときどき化石産地で、散らかしたままの状態を見受けますが、つねにきちんと片づけておきたいものだと思います。
こうした気配りによって、これからも多くの方々が化石探しを楽しむことができると、私は思っています。
 
次回は、採取した化石をどうすればよいか、をお話しさせていただきます。