2013年6月24日月曜日

荒船風穴

養 蚕 の 神 々

荒船風穴は、群馬の地にとって、というより明治期の日本にとって、重要な産業であり、輸出品目でもある生糸、その生糸のもとになる蚕の種(卵)を冷蔵保存するための施設でした。

いま、荒船風穴のガイド用資料(私の手持ち)をつくっているのですが、この地の神社における養蚕、機織りに関する神々のことを調べてみようと思っています。

群馬県は、とても養蚕が盛んでした。
しかし、安定的な作柄の確保は、とても難しいことでした。
養蚕は、デリケートな昆虫を扱うため、つねに病害虫の発生の心配をしなければならず、飼育中は気が抜けない日々を過ごすことになります。

そんなとき、人々は神々に「蚕があたりますように」と祈ったのではないかと考えてみました。

たくさん繭がとれたとき、「あたった」といい、繭が期待どおりでなかったときは、「はずれた」といいます。
群馬の地で養蚕が始まった時代は、定かになっていないということですが、朝鮮半島からの渡来人によって、養蚕や織物の技術が伝わったといわれています。

富岡市一ノ宮の貫前神社の御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)と姫大神(ひめおおかみ)です。
姫大神は、機織りの神といわれています。

貫前神社では、4月下旬に養蚕安全祭、12月11日には神機織神事が行われています。
いまでは、養蚕農家が減り、また機織りをする方がいなく(趣味で機織りをされている方はいらっしゃると思いますが、むかしは女性の副業(あるいは、本業)として、盛んに機織りが行われていました)なりましたが、貫前神社では、むかしからの人々の祈りをいまに受け継いでいます。

富岡市と甘楽郡内の神社で、養蚕に関する神々をお祀りしている神社があるかどうか、「富岡甘楽 平成神社明細誌(群馬県神社庁富岡甘楽支部編・群馬県神社総代会富岡甘楽支部編・平成5.9.11発行)」で調べているのですが、わたしの予想に反して意外とすくなく、富岡市蚊沼地内の飯縄(いいづな)神社のほか4社のみでした。(これから細かく調べれば、もっとあるかもしれませんが)

お蚕の神様というのは、「オシラサマ」というような名前(地区によって、いろいろな名前があるようですが)で、それぞれの養蚕農家が個々にお迎えする神であったため、神社にお祀りする必要がなかったのかもしれません。

でも、当地でいちばん(というより、群馬県の一の宮)の貫前神社では、この地をはじめとして、群馬県全体の養蚕が安全に行われ、それぞれの人々が豊かに暮らせるように、とお祈りをしてきたのでしょう。

かつては、機織りの上達を祈る若い女性がたくさん参詣されたと聞いています。

それぞれのお宅のお蚕の神様とともに、人々が貫前神社で養蚕が〝あたる〟ことを祈り、機織りの上達を祈っていた、そんな時代があったのですね。

ところで、貫前神社といえば、下り参道で有名ですが、下仁田町馬山の馬山神社も下り参道になっています。
参道の石段数は、貫前神社より少ないのですが、ここも石段をくだって、参拝する神社になっています。

この馬山神社は、明治の神社合祀のとき、当時の馬山村全体の神々をここにお祭りしたとのことで、たくさんの御祭神が鎮座されております。

御祭神の多さでは、富岡市と甘楽郡内の神社でナンバーワンではないかと・・・
当地には、一の宮の貫前神社をはじめとして、馬山神社のように村の総鎮守としての神社がたくさんあります。

養蚕をはじめとして、日々の暮らしの安寧を祈ってきた先人の思いにふれていただけたら、と思います。

どうぞ、当地にお出かけの節は、貫前神社、馬山神社をはじめ、各地の神社に御参拝ください。

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