2013年8月31日土曜日

まちづくり

やさしい気配り、思いやり

私は、かつて産業廃棄物処理対策、不法投棄対策などの業務を担当したことがあり、そのとき廃棄物の処理から見た日本、日本人の意識を研究しようと、仲間を募って自主研究グループをつくり、「廃棄物の文化史」といった論文を書きました。

廃棄物をどのように処理するのかは、昔から大きな問題であり、古くは「古事記」にはじまり、いろいろな文献に廃棄物処理に関することが登場します。

私たちは、日々の生活や事業活動によって、多くの廃棄物を発生させています。

私は、「廃棄物の文化史」を書くにあたって、県内各地のゴミステーション(廃棄物の集積場所)を見たのですが、ここがきちんとしている市町村、地域は、その市町村や地域全体がきちんとしていることに気づきました。

道路に面した生垣は、きちんと刈り込まれ、歩道と宅地の境などに雑草が伸びていたりせず、とても歩きやすい空間、心地よい空間の歩道になっているのです。

通学する子どもたちの元気な明るい声の「おはようございます!」も聞こえ、お年寄りが手を振って子どもたちを見送っている朝の風景は、とてもすがすがしい気分になります。

このことを〝発見〟した私は、
 ゴミステーションは地域の意識-やさしい気配り、思いやり-を現している、
と考えるようになりました。

  【私のチェックポイント】
① 道路(歩道や車道)にゴミ袋がはみ出していないか。
② ゴミ袋からこぼれ出ていないか。
③ 収集品目以外のものが持ち込まれていないか。きちんと分別されているか。
④ カラスなどへの対策(ネットがけ)をしているか。
⑤ 収集車が収集していったあと、地区の方々が周囲を含めて清掃しているか。

この5項目がクリアできている地区は、前記のとおり、地区全体に温かみがあって、とてもすばらしい雰囲気になっていますが、
 道路にゴミ袋がはみ出していたり、
 カラスがつついたのか、ゴミが袋から出て、異臭もしたり・・・
 収集品目以外の物が持ち込まれたのか、ゴミステーションのわきにゴミが無造作に置かれていたり、
といったゴミステーションの地区は、その地区全体に温かみが感じられず、また、この地区に住む人々の連帯感も希薄なのではないか、と私は感じてしまいます。
上州七日市駅からの道と国道254号が交差した位置です。
↓ の位置にゴミが置かれています。

高校の石垣と車道にはさまれた歩道は、それほど広いものではありません。
この写真は、きのうの朝のようすですが、ゴミが多量のときは、歩道をふさぐほどになり、通学する高校生がゴミをよけて、車道を歩く姿も見受けられます。

私は、こうしたゴミステーションを見るとき、
 この地区では、ここしか設置する場所がないのだろうか・・・
 通学する高校生や歩行者全体のことを考えるとき、ここ以外の場所に移せないものなのだろうか・・・
と考えてしまうのです。

これだけ交通量も多く、高校の正門近くということで、富岡市の廃棄物処理担当課では、地区の方々をはじめ富岡高校とも十分に協議をしたうえで、
 〇 道路交通法に基づく手続き→富岡警察署
 〇 道路法に基づく手続き→富岡土木事務所
を適正に了して、ここにゴミステーションを設置されたものと思いますが、

 高校生や歩行者へのやさしい気配り、思いやりの気持ち

があれば、別の場所にゴミステーションを設置したのではないかな・・・と、私は思うのです。

いま、富岡市では、富岡製糸場が世界遺産になるかもしれないという期待のなかで、〝まちづくりが模索〟されていますが、まずは、

 地域の意識-やさしい気配り、思いやり-を現しているゴミステーション
 
の姿をしっかり把握することから始めることもよいのではないでしょうか。
私は、以前にこのブログで、「まちを花いっぱいにしませんか」
と提案させていただきました。

富岡製糸場を見学される方は、富岡製糸場だけを見ているわけではありません。
バスや自家用車の車窓から街並みや歩いている人々など、富岡にあるもののすべてを見ているのです。

私が初めて富岡に来て、富岡高校前のゴミステーションを見たとすれば、やさしい気配り、思いやりがないところだな、と思うことでしょう。
また、富岡市は、歩道をゴミステーションにしているのか、とあきれてしまうかもしれません。

  これまでに投稿したブログです。

世界遺産登録は、地域を活性化させるか

とても気になっていること

絹産業遺産群とは・・・

 富岡製糸場の見学に来られた方々に、富岡市の街並み、私たちの日々の暮らしがどのように見えるのか、といったことをもっともっと考える必要があるのではないか、そうした外来者の視点を十分に考慮したまちづくりも考えるべきだと私は思っています。

2013年8月29日木曜日

まちづくり

心豊かな生き方とは・・・

 
つぎの画像は、「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた「自分史:Let It Be -あるがままに生きようと思ったとき-(p229~244)」の部分です。
私が小学生のころ-昭和30年代の東京オリンピック前-の農村は、こんな生活をしていました。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた文章は、2009年の冬に執筆したものですので、この文中の「一昨年」とあるのは、2007年のことになります。

農繁期になりますと、同級生などの多くは、まだ、小学校に上がっていない年齢で、妹や弟を背負い農作業を手伝わされていました。

いま振り返ってみて、当時の農家の子どもたちは、よく働いた(働かされた?)と思います。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、明治期の人々-秋山好古と真之兄弟・正岡子規-の思いを描いたものですが、昭和30年代に富岡市北部の農村地帯で育った少年の多くも、その時代のなかで「坂の上の雲」を追い求めて、歯をくいしばってがんばっていたのです。

貧しい生活のなかで、〝豊かな生活〟を追い求めて、必死に生きていたのです。

でも・・・

確かに貧しい生活でしたが、まわり中が同じ生活をしていたせいか、悲惨さとか苦しさといったものは感じていなかったように思います。
むしろ、地域のお年寄りはもちろん、地域のおじさんやおばさん、バイクでブイブイやっているあんちゃん、そのバイクの後ろに乗っていたスカーフのねえちゃん、川でフルチンになって、泳いだり魚をつかまえている子どものすべてが、とても生き生きとしていたように思います。

たとえば、声掛け・・・

いつでもどこでも地域のだれもが声を掛け合っていました。
道で出会って黙って通り過ぎるといったことは、絶対にありませんでした。

それは、おとなどうしであっても、
おとなA: 田んぼの水見か?
おとなB: こう暑くて、夕立がないと、米が取れねーかもしれねーな。
おとなA: そうだな・・
と、たわいない言葉のやりとりですが、それぞれが元気で過ごしていることを確認し合う、そんな意味があった声掛けであったと思います。

相手がどんな小さな子であっても・・・
おとな: どこへ行く?
子ども: 川にいく。
おとな: 気を付けるんだぞ。
子ども: うん。
といった感じで、おとなから子どもに声掛けが行われていましたが、これは地域で子どもを見守るという意味が大きかったように思います。

私は、住みやすい地域社会とか心豊かに生きる、といったことを考えるとき、私が生まれ育った家や地域のこと-きれいな山や川があって、私たち子どもを見守ってくれていたお年寄りがいた〝あの時代のあの地区での暮らし〟-を思い出すのです。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」のp242・243に、「7.これから先・・・」として、
私がしたいことやなりたいものを列挙してありますが、要は、
 そこそこに暮らすことができ、
 私の好きなこと-化石探しや鉱物探し・読書・野菜づくり-ができて、
 すこしは地域社会のお役に立てることがあれば
という-私の願い-を述べさせてだいております。

やはり、生まれ育った時代や環境が大きく人生観の形成に作用するらしく、追い求める幸せとか自分らしく生きるといったことは、まさに原点ともいえる生まれ育った時代や環境に戻るのではないかと思います。

昭和30年代の最大のイベントであった東京オリンピックから半世紀が経って、これほどに世の中が大きく変貌するとは、誰もが予測していなかったのではないでしょうか。

この半世紀は、地域社会のつながりを希薄にさせ、それをさらに加速させてきたといえるでしょう。

 そもそも経済(経世済民)という言葉も金だけを意味する言葉ではなかったはずだ。世の
中をうまく治めて人々の幸せな生活を実現ささせること、つまり地域の課題を乗り越えて人々
が豊かな人生を送ることが目的だった。それがいつの間にか「経済的な成功」ということに
なると「お金がたくさん手に入った」ということとほぼ同義になるほど、経済と金はひっつ
いてしまった。僕らはもう一度「経済」や「豊かさ」がどんな要素から成り立っているの
か、じっくり考えてみたほうがいい時期にさしかかっている。人とのつながりや、人からの
感謝や、自分の役割が増えることや、自分にできることが増えることの価値。こうしたもの
と金や物を持っていることが組み合わさって、僕たちの豊かさは成立しているはずだ。
 そして、まちの豊かさも同じような要素で成立しているはずなのである。                                       
 
 この文章は、 「コミュニティデザインの時代-自分たちで「まち」をつくる(山崎亮・中公新書)から引用 (p82・83)させていただいたものです。

一昨日のブログで、日本郵便の高齢者サービス事業参入を紹介
    http://geogunma.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html
しましたが、こうした動きによって、ますます地域社会のつながりが薄れ、ますます高齢者を孤立化させるのではないか、そんな危惧を私は感じているのです。

私が住む富岡の地域社会の多くは、新たな豊かさを再構築できる基礎が消滅してしまった、とまではいってないかもしれませんが、消滅寸前、いわば瀕死の状態といってよいのではないか、と私には思えてならないのです。

日本郵便のこの事業によって、
 ますます地域社会のつながりが崩れ、
 このような事業がさらに拡大すれば、
地域社会で支え合うといったことがなくなってしまうでしょう。

山崎氏のお考えはごもっともですが、
いますぐに、そんな事態に立ち至らないためにも、
富岡市(自治体)と市民がもっと大所高所に立って、長期的なスパンでの地域社会で支え合う仕組みづくり-まちづくり-を
もっとスピーディーにやるべきではないか、そんな思いをつよく感じています。

日本郵便の高齢者サービス事業の売り上げと儲けは、どこで申告され、どこが課税するのか・・・といったこともあります。
富岡に本店がある商店であれば、富岡税務署・富岡市ということになると思いますが・・・
今後の富岡市の税収面、財政からもまちづくりを考えてみる、こういった観点も必要なことではないでしょうか。

今日の現状をふまえ、将来の地域社会を考えるとき、もう一度
「遠くの親戚より近くの他人」
といった古人の教えをよく考えてみることが必要かもしれませんね。

2013年8月27日火曜日

私の「反省と後悔」

まちづくり

きのう(2013.8.26)の読売新聞の記事です。
私は、「富岡まちづくりワークショップ2013」に参加させていただいていますが、高齢者に対するプログラムがないこと(※1)に漠然とではありますが、すこし疑問に思っていました。
  ※1 あるのかもしれませんが、私の能力では、それを理解することができません。

このワークショップは、
世界遺産登録をめざす富岡製糸場を盛り上げる、そういった視点でのまちづくり方策ということで、あれもこれも取り上げる・・・ということではないのだろうけれど、
と自分なりに考えていたのですが、やはり、
 高齢者への対応をよく考えないまちづくりがあり得るのだろうか、
と思うようになり、ある時期からですが、
 こういうことで、よいのだろうか・・・
と感じていました。

そんな思いもあって、このブログで、

  みやのかわ商店街(秩父市) 
  「商店街再生の罠-売りたいモノから、顧客がしたいコトへ」(久繁哲之介著・ちくま新書)

を投稿させていただいたり、

富岡製糸場が世界遺産に登録されるかどうかはわかりませんが、富岡製糸場に関連してのまちづくりといったものは、これからの富岡にどのような効果(マイナス面を含めて)をもたらすのだろうか・・・

  世界遺産登録は、地域を活性化させるか 
http://geogunma.blogspot.jp/2013/08/blog-post_6.html
  とても気になっていること 
http://geogunma.blogspot.jp/2013/07/blog-post_6.html
  絹産業遺産群とは・・・ 

といったこともブログでつらつら書き綴らせていただきました。

秩父市のみやのかわ商店街の活動の紹介では、出張商店街や富山の置き薬商法をまねたという高齢者などへの対応のすばらしさに感心しましたが、
この読売新聞の記事では、日本郵便が高齢者に生活必需品を定期的に自宅に配達するサービス(画像の)も行うことにすると伝えています。

ワークショップでは、
 〇 私たちがしたいこと
 〇 社会が求めていること
 〇 私たちができること
を考え、このみっつの接点で立案する企画がもっともよい
というコーディネーターの指導を受けて、いくつかのチームをつくり、さまざまなアイデアを出し、つぎの「まちづくりビジョン」ができました。

まちづくりビジョンは、「5万人がつくる!笑顔いきあうまち 富岡」として、
 1 「WE♥富岡」なまち
 2 まちなかが楽しいまち
 3 であえる、つどえる、ふれあえるまち
 4 自然・里山・農があるまち
 5 文化かおるクリエイティブなまち
といった項目がたてられ、この項目ごとにそれぞれの〝目標〟が掲げられています。

私は、情報発信が求められているのではないかと考え、富岡市に関することを動画にまとめ、それをYouTubeに投稿したらどうかという提案などをさせていただきました。

いま、私の提案が
 富岡市の人々に求められていることなのだろうか・・・
と思うようになりました。

なんと、とんちんかんなことを提案していたのだろうかと・・・いま、反省と後悔をしているところです。
いま、富岡のまちづくりにおいても、もっとも求められていることは、
 高齢者の方々への対応ではないだろうか、と・・・

まちづくりビジョンの「5万人がつくる!笑顔いきあうまち 富岡」の
 3 であえる、つどえる、ふれあえるまち
のなかに、
 ・お年寄りがイキイキしているまち
というのがあるのですが、
この〝目標〟をどのように達成するのかといった具体的な実行策の案を考えられなかった自分をいま反省しているところです。

日本郵便の場合、全国に張り巡らしたネットワークをもとにして、じょうずに事業活動を展開すれば、多くの顧客を獲得することができるのではないかと思います。

しかし、それで顧客が満足するでしょうか・・・

日本郵便の事業化は、みやのかわ商店街の出張商店街のようすがNHKテレビで紹介されましたが、品定めをして、買い物をするという行為への喜びが得られないことにならないでしょうか。

足腰が不自由で外出がままならないという方であっても、出張のお店が近所に来れば、出かけて買い物をしたい、そのときに近所の方々や店の人と会話を楽しみたい、と思うのではないでしょうか。

これから日本郵便がどのように事業を展開するかはわかりませんが、全国一律の対応マニュアルを作成して、公平・公正な顧客対応を図っていくと思うのです。

なぜなら、不公平があっては、日本郵便として、たいへん困るからです。

たとえば・・・
 Aさん宅に郵便局員が品物を届けたとき、Aさん宅では1時間以上も話し込んでいた、
にもかわらず、Aさん宅と同じ地区の
 Bさん宅では、Bさんが大きくなった孫から届いた手紙、写真を局員に見せて、ゆっくり話しをしたいと思って、品物の到着を心待ちにしていたのに、局員は品物を置いて、すぐに帰っていってしまった・・・
といった対応をしたとすれば、
Aさん宅で話していた内容以前の問題-Aさん宅では、ゆうパックの出し方などの相談をされていたのかもしれませんが-として、Bさんの気持ちは、あまりよくないのではないか・・・

といった事態を避けるために、日本郵便としては、業務に関連しての話題はよいが、世間話や孫の話題での長居をしてはならない、といったマニュアルを作成するのではないでしょうか。

私は、その人、その人が望むものに対して、きめ細かい対応といった面で、日本郵便がどのように事業を展開していくだろうか、ということにとても関心があります。

日本郵便の事業が円滑に進めば、地方の商店街は、大きな打撃を受けることが必定だからです。

いま、高齢者や共働きの世帯を中心に、食材等の宅配サービスが普及し、さらに日本郵便が高齢者サービスを始めれば、買い物目的での外出が大きく減少すると考えられるからです。

私が知り合った南牧村のお年寄りは、定期的な通院のとき、
① 近所の人からの買い物を頼まれ、それらの買い物をする。
② スーパーで食材を購入する。
③ そのときの減り具合で、愛車(もはや、杖がわり)である軽トラに給油する。
④ 冬であれば、灯油を購入する。
⑤ 1回/2ヶ月に散髪する。
⑥ 下仁田の食堂で、お昼に好物のかつ丼を食べる。これは、1回/月だけ。
といった行動をしていますが、この方は通院といったイベントがなければ、下仁田や富岡に出かけることがありません。

「すくない年金での生活は、たびたび出かけられない、これが限界だ」とお聞きしたことがありますが、おそらくそのとおりだと思います。

この方は、数年前に奥さまがお亡くなりになり、ひとり暮らしをされているのですが、
  「誰とも話していない日が多いので、ときにはイノシシとでも話してみたいと思うよ」
と冗談まじりに話されたこともありました。

きょうも読売新聞の第一面には、高齢者関連の記事-「認知症に優しい街」推進-が掲載されていますが、ひとり暮らしのお年寄りをはじめ、外出などの行動が不自由なお年寄りなどに対して、誰もがやさしく接し、
 ・お年寄りがイキイキしているまち
を最優先させたまちづくりを考えるべきでなかったかと、
その考えにいたらず、とんちんかんなことを考えていた私をとても恥ずかしく思っています。

いまなら・・・
 お年寄り相手の悪徳商法の人に間違われないよう、あらかじめ地区の区長さんや組長さんを通じて、地区に周知しておいていただいたうえで、
 チームのメンバーが「スマイル 富岡」と染め抜いたジャンパーを着て、
 「お話をお聞きし隊」という幟を翻しながら各地区をチームが巡回する
のはどうか、といった提案をするかもしれません。

ひたすらお年寄りのお話しをお聞かせいただく、ただそれだけ
といったシンプルな活動もまちづくりの活動のひとつではないのだろうか・・・

※ 困ったことの相談については、民生・児童保護委員さんがおられますので、お孫さん自慢とか若いときの思い出などをお聞かせいただく活動を想定しています。

 「お富ちゃんラジオ体操」の動画を作成し、YouTubeに投稿しようと考えていたのですが、
このことが
 真に富岡市の人々に求められていることなのだろうか・・・

いまの富岡における状況をよく考えず、こんな提案をしてしまって・・・(※2)

と、今更でありますが、私の能力不足と思慮の足りなさを痛感しております。

 ※2 高齢者の対応をはじめ、これからの富岡市民-いまの青少年-が住みよいと感じるまちづくりへの配慮も必要なことでしょう。また、富岡市の場合、高齢者対策のほか、富岡製糸場が世界遺産に登録されなくても、富岡製糸場を保存するためには、今後も多額の予算が必要となります。
 こうした将来の富岡市を想定したうえで、そのときに発生するであろう財政負担なども考慮して、まちづくりとはどうあるべきかを考えるべきでなかったか・・・そんな思いがしています。

2013年8月23日金曜日

神楽桟

 かぐらさん

下仁田駅前の運送店に保存されている神楽桟(かぐらさん)です。 
 ご主人によれば、昭和30年代の前半ころまで、下仁田駅で重い荷物をおろすときに使用していたとのことでした。

 神楽桟について、造園工具事典
 http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%93
では、つぎのとおり説明しています。

  
 2~4人で軸にロープ巻きながら、石や大木などの重量物の運搬を行う装置。  太いを軸とし、そこの丸太などの回し棒を、横向き取り付けている。2~4人で回し棒を押して軸に綱を巻き取り、荷をたぐり寄せる。  海岸で地き網を巻き取る装置と同じ構造であり、昔は石を曳くための主力的な道具であったが、現在はウインチにとって代わっている。

今日のクレーンやウインチがなかった時代、この神楽桟によって、重い物を引っ張ったり持ち上げていたのだそうです。

下仁田町で神楽桟を保存されている運送店の場合、この神楽桟が最後に使われたのは、昭和30年代に貨物で下仁田駅に運ばれてきた橋桁をおろしたときとのことでした。

いまでは、自動車輸送が全盛ですが、昭和30年代といえば、まだまだ鉄道輸送が盛んでした。
この写真は、1965(昭和40)年4月に発行された群馬県蒟蒻原料商工業協同組合の組合五十年史に掲載されているものです。

この写真には、撮影年月日の記載がありませんが、1965(昭和40)年以前のもの-昭和30年代後半?-と考えてよいでしょう。

つぎの写真も組合五十年史に掲載されているものです。
たくさんの貨車が並んでいて、荷物の積み込み作業中と思われる写真です。

昭和30年代ころの下仁田は、下仁田駅からは、農産物の下仁田ネギをはじめ、こんにゃくの粉、石灰や石材などが積み出され、下仁田駅にはさまざまな物資が運ばれていました。

神楽桟を使って、重い物を貨車からおろしたり、農産物や石灰、石材を積み出し、さまざまな物資や多くの人々が往来していた下仁田駅は、まさに下仁田の顔であり、玄関であったといえるのです。

そんな時代の下仁田を思い浮かべながら、下仁田音頭をお聴きいただきますと、より一層の情趣を味わっていただけるのではないかと・・・

古いものが大切に残されて
古きよき時代のおもかげを残す
下仁田町にお出かけください

2013年8月22日木曜日

投稿写真

落選(不採用)写真集

NHK前橋放送局の「ほっとぐんま640」には、県内各地の花の名所などの開花状況を撮影した画像などを投稿するコーナーがあります。

私の友人である岩崎正春さんは、このコーナーで写真が採用され、大きく紹介されました。
その写真は、岩崎さんのブログ http://iwazaki.wordpress.com/2013/06/page/2/ で、ご覧いただけますが、とてもきれいにジャガイモの花を撮ったものです。

私もなんとか採用していただけないものかと思い、これまでに3回投稿したのですが、いずれも落選(不採用)してしまいました。

それでは、私が投稿して落選(不採用)した写真をご覧ください。

① 2013.4.23に撮影した写真
アミガサタケの写真です。
地質調査の折、山道で見つけたものです。
まだ幼菌の愛らしさがあって、とてもすばらしい姿でしたので、多くの方々にご覧いただけたらと思って投稿したのですが、あえなく落選(不採用)となってしまいました。

アミガサタケについては、こちらをご覧ください。
            http://www.kinoco-zukan.net/amigasatake.php


② 2013.6.22に撮影した写真
馬山のあじさい園で撮影しました。
あじさいの花の上の虫、おわかりになりますか。

この虫は、ラミーカミキリといいます。
あじさいの花と珍しいラミーカミキリの組み合わせ、これはおもしろいと思って投稿したのですが、この写真もあえなく落選(不採用)となってしまいました。

ラミーカミキリについては、こちらをご覧ください。

③ 2013.7.13に撮影した写真
タマゴタケの写真です。
大桁山の自然観察会の折に見つけたものです。
傘が開いたところで、ふたつ並んだ姿もよく、多くの方々にご覧いただけたらと思って投稿したのですが、これもまたあえなく落選(不採用)となってしまいました。

タマゴタケについては、こちらをご覧ください。


私の場合、これらの写真を応募する際には、
 下仁田ジオパークの活動の一環で見つけたことや、 
 下仁田町の馬山丘陵では、あじさいの花がきれいに咲いている、
 いま、下仁田町では、山々の緑がきれいだとか、
といったことを書き添えているのですが、

NHK前橋放送局の「ほっとぐんま640」で紹介される写真を拝見していて、
    どうも題材の選び方に問題があるな・・・
ということに気づきました。←気づくのが遅くて・・・

いま、私なりの反省に基づいて、新たな題材での投稿を検討しておりますので、
私の投稿作品がめでたくNHK前橋放送局の「ほっとぐんま640」で紹介されたときには、
どうぞ、ご覧になってください。

むろん、そのときには、このブログで「入選(採用)写真集!(写真1点で、写真集というのは、たいへんおこがましいですけれど)」をアップいたします。

NHK前橋放送局の「ほっとぐんま640」のHPは、つぎのとおりです。

        皆さんも地域の話題や身近なできごとなどを撮って、
           NHK前橋放送局の「ほっとぐんま640」応募してみませんか。

2013年8月11日日曜日

みやのかわ商店街(秩父市)

まちづくり

2013.8.9(金)の夜、NHKの「団塊スタイル」で、みやのかわ商店街振興組合(秩父市)の取り組みが紹介されました。
ここで紹介させていただく画像は、この放送の場面の一コマです。
この夜は、「商店街再生の罠-売りたいモノから、顧客がしたいコトへ(久繁哲之介著:ちくま新書)」を読んでいたときであり、実にタイミングがよい(私にとって)放送でした。
※ このブログの2013.8.10付け投稿をご参照ください。

秩父・長瀞方面へは、若いときから地質の調査等で何度も行っておりますが、みやのかわ商店街のことを知ったのは、ずっとあとになってからのことでした。

NHKの「団塊スタイル」で紹介されたなかから、私が印象に残った点を紹介させていただきます。

① リーダーの統率力
どのような活動においても、本気になって奔走するリーダーが存在しなければ、活動の存続、発展は望めません。
もちろん、そのリーダーの統率力もさることながら、人間的な魅力があってこそ、「このリーダーであれば安心だ」と多くの人が従うものです。
まずは、すばらしいリーダーがいること、これがいちばん大事なことであると思います。
つぎに、いつまでもリーダーの地位にとどまろうとしないことです。
かりに、「ずっと続けてください」という申し出があったとしても、潔く退くことです。
惜しまれて去る、これこそ引き際の美しさというものです。

② 振興組合役員の世代交代&新役員の積極的な姿勢
私は若いとき、「おとな(わたしより年上の人々)は、どうしてこうも頑迷固陋、保守的なこちこち頭の持ち主なのか!」と大いに憤慨したことがありますが、いま、私が若いときに憤慨した〝おとな〟になってみて、やはり斬新なものへの興味が薄らいでいることを実感することがあります。

理事長らの新旧役員の構成をみますと、大幅に若返っていることがわかります。
こうした若返りによって、新たな発想による活動が生まれる効果が期待できると思いますので、とてもよい役員交代をされたと思います。

ただ・・・テレビの放送を視聴していて、前理事長と新理事長の会話からは、まだ全面的に引き継いでいないような感じを受けました。
もしも、院政的なものになって、旧役員の影響力が残るようであれば、新しい役員のやる気がそがれ、一生懸命にやろうという気力が失せてしまうでしょう。

ここまで、みやのかわ商店街を盛り上げてこられた旧役員の方々ですし、そのようなことを行うことはありえないと思いますが、若い人たちに一切を任せる、といった覚悟、気分を持つことも重要なことではないかと思いました。

③ 楽しいイベントの実施
  ◎ ナイトバザール
秩父といえば、秩父の夜祭りが有名ですが、商店街のにぎわいづくりという意味では、このナイトバザールは、とてもよい企画だと思います。
商店街を華やかで、にぎやかで、お祭り気分にするためには、最高のイベントです。

 ◎ ワンコイン
商店街のレストラン、居酒屋などが比較的すいている曜日を選んで、ワンコイン(500円)のメニューを用意して、地域の人々に出かけていただこうというイベントです。
「地元に住んでいても行ったことがないというお店に行くことができた」という方や、「(出かけてきたことによって)顔見知りの方に会えた」という方などがおりましたが、これもよい企画です。

まずは、商店街に出かけていただく、そのきっかけづくりとして、飲食する機会があることは、とてもよい方法だと感心いたしました。

④出張商店街
施設に入所されていたり、山間部にお住まいの方々などへのサービスとして、これ自体での利益を求めることを考えていないという「出張商店街」です。
出張商店街では、つぎの開店に向けて、どのようなものを持ってくればよいかを細かく聞き取ります。
この女性の方は、おつまみにイカ天がほしいとのことでした。

⑤ みまもり隊
このおふたりの間にあるプラスチック箱の中には、トイレットペーパーをはじめ、缶詰、瓶詰の食料品などが入っています。

富山の置き薬商法をヒントにされたとのことで、品物は1回/月に補充、交換するというもので、買い物に出かけられないお年寄りには、とてもうれしいサービスです。
災害が発生した際には、非常用食料にもなりますし、たいへんすばらしいアイデアといえるでしょう。

この番組のゲストの方が、これらの取り組みについて、
     新しいことをしているように見えるが、
     もともとの商人のあるべき基本形を忠実に実践している
と述べられたのが印象的でした。

この「団塊スタイル」を見逃してしまった、という方は、近いうちに再放送があると思います。
たいへん興味深い内容ですので、どうぞご覧になってください。

また、みやのかわ商店街のことをもっと知りたい、という方は、こちらのHPをご覧になってください。


みやのかわ商店街振興組合 


中小企業庁 がんばる商店街77


商店街を盛り上げるのか、衰退させてしまうのかは、
  その商店街の人々の取り組み、
  その人々の意欲とアイデア、実行力に尽きる、
ということがよく理解できる番組です。

2013年8月10日土曜日

「商店街再生の罠」

   商店街再生の罠
     -売りたいモノから、顧客がしたいいコトへ」  
               (久繁哲之介著・ちくま新書)

奥付きに「2013.8.10 第1刷発行」とあります。
きのう、所用があって出かけた先の書店で購入したのですが、おもしろくて一気に読み終えてしまいました。

   ◎ 負けに不思議の負けなし

この本を読んでいて、ふと、野村克也氏の「負けに不思議の負けなし」の言葉を思い出しました。
商店街は、衰退すべくして衰退していった・・・と、考えざるを得ない明白な原因があることに気づかされます。

以前、このブログで「一期一会のおもてなし」と題し、加賀屋旅館の取締役副社長 小田 與之彦(おだ よしひこ)さんの講演をご紹介

    http://geogunma.blogspot.jp/2013/07/blog-post_2.html

させていただいたことがあります。

全国に数多の旅館がありながら、加賀屋旅館を33年連続で「おもてなし日本一」にしている、この原因は、経営者のやる気と旅館業に対する信念の違いに起因しているのだろうな、と思いました。

加賀屋旅館の取り組みは、宿泊客へのサービスがきめ細かいことであり、個々の宿泊客が望んでいることを察知する洞察力の見事さに尽きるといえるでしょう。

「かゆいところに手が届く」のではなく、「(かゆくなる前に)かゆくさせない」ほどの気配りをされていればこそ、私のようなものには「高い宿泊料金だな・・・」と思う金額でも多くの方々が大満足されるのは、そこにきちんとした理由-どこの旅館も真似すらできない加賀屋旅館のサービス体制の確立-があるからではないでしょうか。

加賀屋旅館の取り組みを貫く基本姿勢は、旅館側の都合に宿泊客を合わせるのでなく、宿泊客の都合に旅館が合わせるといった姿勢であると、私は理解しております。

ひるがえって、いま衰退している商店街にこのような基本姿勢があったかといえば・・・
買い物に来られる地元の人々が真に望む店づくりへの努力が十分でなかったから、衰退していってしまったといえるのでしょう。

下の画像は、2013.7.25に放送されたNHK「あさイチ」の一コマです。
この番組を視聴した友人から「富岡にあったスーパー、マルコーとかフレッセイ、ヤオコーがなくなってしまったの?」との電話がありました。

富岡実業高校の生徒さんが町なかで、収穫した野菜の実習販売をされているようすを放送したのですが、そのタイトルが「スーパー撤退の町に救世主 高校生の爽やかスーパー」とあったので、すべてのスーパーが富岡から撤退したと、友人は思ったとのことでした。

私が若いころ、お世話になった先生が、富岡市役所の近くに住んでいました。
そのころは、先生のお宅の近くには、Aコープのスーパーあり、商店街もいまより元気な時代でしたので、「住むのにいい場所だ」と自慢されていたのですが、Aコープのスーパーが店じまいをして、さらには商店街も閉店する店が増えて、その先生は、いつの間にか「買い物難民」になってしまいました。
いつだったか、国道254号沿いのスーパー(マルコー)で、その先生にお会いしたのですが、リュックサックを背負って、家から歩いてきたとのことでした。
すでに退職され、ご高齢になっている先生には、とてもたいへんなことであったと思います。

この友人によれば、ここ数年、とくに地方全体が落ち込んでいる状況を考えるとき、「スーパー撤退の町」というタイトルがあっても、全国の多くの人々は、不思議に思わない人が多いのではないかな、とのことでした。

私は、富岡の宮本町に当地のスーパーのはしりともいうべき、しみずスーパーと堀田屋スーパーがあったころのことを知っていますが、このころから今日にいたるまでの急激な変化には、ただただ驚くばかりです。

ご紹介した
            「商店街再生の罠
            -売りたいモノから、顧客がしたいコトへ」  
                 (久繁哲之介著・ちくま新書)
には、とても興味深い内容がたくさん書かれています。

まちづくりなどに興味がある方は、とくにご一読されることをおすすめいたします。

また、私は第4章を読んで、「きょうは、暑いから・・・」「きょうは、風が強いから・・・」といった理由で、かつて前橋の職場に勤務していたとき、地下の食堂で昼食をすませて、町に出ない日が多かったことを反省しましたが、公務員の方々には必読の書といえるかもしれません。

とてもおもしろい本です。

※ おもしろい本でしたので、すこしでも早くにご紹介したいと思い、ブログに投稿させていただきました。

2013年8月8日木曜日

下 仁 田 音 頭

桑のなかゆく上信電車♪

昨日、初めて「下仁田音頭」を聴かせていただきました。
歌詞には、現在の下仁田ジオパークのジオサイトが入っていて、とてもすばらしい曲です。

下  仁  田  音  頭
                           作詞 鈴木 比呂志
                               作曲 八洲 秀章 

    1 桑のなかゆく上信電車
      着いた終点
           チョイト俺らが街
      ひかる街並み 見ておくれ 見ておくれ
             ヨイヨイ下仁田 サッテモ下仁田新情緒 

    2 神津 荒船 白樺招く
      ミルクいろした
          チョイト雲招く
      夢の牧場の 登山口 登山口
              ヨイヨイ下仁田 サッテモ下仁田山の街

     3 水の清さよ若鮎のせて
                 情け渦巻く 
            チョイト青岩の
      澄んだ思いを誰がしろ 誰がしろ
               ヨイヨイ下仁田 サッテモ下仁田夢の街

    4 九十九折りなす小坂を越えて
       登りゃ妙義の
           チョイト中之岳
      もみじ目に沁む 身に沁みる 身に沁みる
             ヨイヨイ下仁田 サッテモ下仁田観光地

    5 味もほんのり下仁田葱と
         煮込蒟蒻
                 チョイト歯切れよさ
      つつく晩酌 ほんのりと ほんのりと
             ヨイヨイ下仁田 サッテモ下仁田山の幸 
実際に曲をお聴きいただけないのが残念ですが、とてもよい曲です。
下仁田ジオパークのパンフレットで紹介したり、ジオサイトで曲を流してもよいのではないかと思います。
下仁田にお出かけの節は、
下仁田音頭をお聴きになってください。

2013年8月7日水曜日

世界遺産候補

世界遺産登録は、地域を活性化させるか

2013.8.3の読売新聞に掲載されたものです。
富士山の世界文化遺産登録に際して、除外勧告をされた三保の松原がにぎわっている反面、
清水の中心商店街は、
 人通りが少なく、
 シャッターを下ろしたままの店もある、
と、
 地方都市の経済状況の厳しさ
を述べたうえで、
世界遺産登録を地域の活性化にどう生かしていくか。
これからが知恵の絞りどころだ。
で結んでいます。
 
富岡製糸場前の通りをはじめ、宮本町と上町の駐車場から富岡製糸場までの通りは、製糸場見学に訪れる人々が歩いていますが、ほかの通りは閑散としています。
 
私は、このままの状態で推移すれば、富岡のまちなかは10年後、20年後といわず、もっと早くに多くの商店が店じまいをしたり、まちなかの住民がいなくなると推測しています。
   ※昨日、投稿したブログを参照してください。
 
富岡のまちなかは、高齢者が多い〝過疎地域〟になっているといってよい状態ですが、これからの数年で、さらに高齢化・過疎化が進展すると思っています。
 
むろん、既存の商店が店じまいをしたからといって、それで商店街が終わってしまうというものではありません。
世界遺産に登録されるであろうと見込み、多くの観光客が訪れることを想定して、それを新たなビジネス、商機と判断して、新規に開店する店が登場するからです。
現に富岡製糸場の周辺には、製糸場見学に訪れる人々をあてこんで、多くの店が開店しました。
 
来年、富岡製糸場と絹産業遺産群が、もし「不記載」あるいは登録が困難・・・という結果になれば、これまでに出店してきた店の多くは、潮が引くように店じまいをしてしまうことでしょう。
儲かると判断すれば出店する、儲からないと判断すれば撤退する、これがビジネスだからです。
 
私は、世界遺産に登録されることが、ただちに地域の活性化に結びつくとは考えていません。

このブログで述べさせていただいているとおり、富岡製糸場が世界遺産に登録されたとして、一時的には観光客がどっと押し寄せることになるでしょうが、そのあとは〝閑古鳥〟が鳴きっぱなし、といった状態になると推測しているからです。

片倉工業が操業停止後、片倉工業前をはじめとして、まちなかの店の多くが閉店しましたが、それはまさに全国的な戦後の地方都市の衰退を絵に描いたような沈み込みぶりでした。
 
むしろ、世界遺産登録うんぬんといったことを考えず、世界遺産登録に頼らず、私たちが住む富岡の魅力を存分に発揮する、そのためにどうするか、といったことに知恵を絞るほうが賢明ではないかと思っています。

世界遺産登録に蜜のような味を感じる方もいるのでしょうが、この蜜のような味は、まぼろしのようなものであり、はかないものであるかも・・・
 

2013年8月6日火曜日

世界遺産候補

とても気になっていること

2013.8.4(日)の午前における富岡製糸場のようすです。
暑い日でしたが、たくさんの見学者が来られていて、たいへんにぎやかでした。

ところが、宮本町などの通りを歩いている人は、多くありません。
というより、人影がまばら、閑散としている、といったほうがよい状態です。
『あれ・・・、こんなことなの?』と驚くほど、通りを歩いている人がいません。
商店の店内を見ても、お客さんの姿は総じて少なく、『にぎわっているな!』といった感じではありません。
私の「とても気になっていること」のひとつめは、

 富岡製糸場を世界遺産へ!と動き出して、かなりの時間が経っているにもかかわらず、
 いま、こんな状態で、これから先はどうなるのだろうか、

ということです。

「スマイルとみおか」のブログ http://blog.goo.ne.jp/yumemachi-tomioka?fm=rss では、

  短期的に街のにぎわいを創生することはそう難しいことではありません。
  ただそれを継続して行くことや、本質的な問題の解決を見ることは相当難しいのです。
  まちづくりコンサルタントといわれる人たちはその短期的な成果を
  あたかも成功事例として持ち上げようとしますが、
  はたして10年後、20年後はどうなっているのかその辺が問題なのです。
  それは今、地方都市で起こっている問題は、
  おそらく日本全体の問題であり、相当根が深いからです。

と述べていますが、これはそのとおりだと思います。

しかし・・・

富岡市では、景観づくりをはじめとしてさまざまな施策を講じつつありますが、いまの状態-さびしい商店街、通り-が続けば、10年後、20年後には、まちづくりを担うべき商店がなくなり、まちなかの人々がいなくなる・・・といった事態になってしまうのではないか、と私は考えています。

まちづくりにあたっては、

短期的な目標-とにかくにぎわいをつくり、商店が儲かり、人々が生き生き暮らす日々を築く-

と、

長期的な目標-商店は儲けたお金で、通りに面した店の構えを補修(あるいは、建て替えて、統一的なまちなみづくりへ)し、まちなかに暮らす人々は、通りに花を飾り、心地よい空間づくりをするとか-

といったことが必要なのではないでしょうか。

いまの富岡市は、世界遺産になるかもしれない・・・というチャンスに恵まれています。
残念ながら世界遺産にならなかった、といった結果になるかもしれませんが、それはそれとして、私たちが住む富岡市にあるお宝-

富岡製糸場をはじめとする見どころがたくさんありますが、私たちが明るく楽しく暮らす、その姿こそ真のお宝だと私は考えます

-を十分に生かして、よそから多くの方々に訪れていただくまちにする、これがいちばん大事なことではないかと思っています。

もうひとつ、とても気になっていることは、通りに面した〝空き地〟が放置されたままになっていることです。
「赤レンガ休憩場 ごゆっくりどうぞ」と看板に書かれていますが、このありさまを見て、多くの人々は、
  「ずいぶん冗談がきついな」
と思うのではないでしょうか。
ここも壊れたベンチあり、手入れがされていない花壇あり・・・といった状態のうえ、ごみの収集場所になっているらしく、ごみ分別の一覧表が掲げてあります。

区画整理事業の失敗後における富岡製糸場を世界遺産へ・・・といった動きのなかで、苦肉の策的に始めたことであったのでしょうが、このような状況は、富岡市民ですら「さびしい商店街だな、見たくないな」と思うのですから、よそから来られた方々には、よりさびしい商店街に見えてしまう、そういったマイナス効果を与えるのではないでしょうか。

こういうものを見るたび、私は切なくなってしまうのです。

きちんと管理できないのであれば、このような場所をつくらず、映画のオープンセットのようなもの-通りに面したところだけつくる-で、まちなみを美しく演出したほうがよいと、私は思うのですが・・・

※ これまでのブログ投稿のうち、「世界遺産候補」と題した投稿です。

絹産業遺産群とは・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2013/07/blog-post_6.html

世界遺産に登録されると、どんな効果があるの?
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_17.html

まちづくりって、どうすればよいの?
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_18.html

2013年8月4日日曜日

浅間山の溶岩帯 ジオパークに


 周辺6市町村が協議会

という記事が上毛新聞に掲載(2013.8.2(金))されました。

上毛新聞のHP  http://www.jomo-news.co.jp/ns/8013753696671188/news.html によれば、 
 嬬恋村は1日までに、浅間山の噴火活動に関わる自然遺産について、地質学的に重要な地形、地層などを見どころにする自然公園「ジオパーク」の認定を目指す方針を決めた。
 12日に長野県軽井沢町など周辺自治体の関係者を集めて初会合を開き、月内にも協議会を発足させる。同村には「鬼押出し」として知られる広大な溶岩帯があるほか、同じ火山被害の歴史を持つイタリア・ポンペイとの友好都市提携への動きも進む。
 本年度は火砕流や土石なだれが襲った鎌原地区の調査をまとめ、協議会として早期のジオパーク認定を目指す。
 協議会に参加するのは同村のほか、長野原町、長野県軽井沢町、小諸市、御代田町、東御市の計6市町村と、環境省や火山、地質学の専門家ら。
                       【更新日時:201382() AM 07:00
とのことです。 

浅間山は、群馬県と長野県境にあり、そのうえ私が住む富岡から近いということもあって、とてもなじみ深い山のひとつです。

日本は、火山が多い国であり、「火山大国」ともいえます。

浅間山は、これまでに何度も噴火していますが、有名な天明3(1783)年の噴火に関して、理科年表(国立天文台編・平成23年)の地121(693)によれば、

  火砕流、火山泥流、溶岩流、鬼押出し、噴出物総量2億㎥、死者1151、家屋流失・焼失・全壊1182、山林高知被害、気候異
 変助長

があったと記載されています。

天明3(1783)年の浅間山の噴火による甚大な被害については、浅間山の近くで暮らす人々の生命、財産を奪ったのみでなく、噴火後の「気候異変助長」によって、わが国の飢饉をはじめ、世界中に大きな影響を与えました。
 ※天明3(1783)年の浅間山の噴火による甚大な被害の詳細については、種々の出版物もあり、またネットでも調べることができますので、そちらをご参照ください。

わが国には、たくさんの火山があり、それぞれに有名ですが、いまも噴煙をあげている美しい姿の浅間山は、「火山大国」の日本を象徴する火山といえるでしょう。

その浅間山の地元市町村が力を合わせて、日本ジオパークネットワークへの加盟を目指すとのこと、とてもすばらしいことだと思います。

現在、日本ジオパークネットワークには、25の地域が加盟しています。
  ※加盟地域の詳細については、http://www.geopark.jp/ をご覧ください。
日本ジオパークネットワークに加盟している地域のすべてが、活発に活動を展開しているとはいいがたく、活動が低調なジオパークもある、とお聞きしています。

私が見聞したり体験していることをもとにして、活動が低調な原因を述べますと、つぎのとおりになります。

① 首長をはじめ、議員、自治体職員にやる気がない。

② まちづくりにジオパークを活かす、といった施策を積極的に講じていない。

③ 住民が積極的に参加していない。

私は、これを活動が低調な原因の3要素-「3ない(みっつの〝ない〟)」と考えています。

この「3ない」のすべてを「いる」としないかぎり、

① 首長をはじめ、議員、自治体職員が積極的に取り組んでいる。

② まちづくりにジオパークを活かす、といった施策を積極的に講じている。

③ 住民が積極的に参加している。

活発な活動の展開、よりよいまちづくりは、できないと考えています。

日本ジオパークネットワークへの加盟をめざす「浅間山溶岩帯」地域の市町村の皆さんには、

すでに日本ジオパークネットワークに加盟したが、活動が思わしくない、
という地域の〝失敗〟をよく学んでいただいて、

すばらしい日本ジオパークをつくっていただきたいと思います。

がんばって、日本一のジオパークをつくってください。