2013年9月30日月曜日

下仁田九峰

御嶽(おんたけ) 576m

つい最近まで、私は下仁田九峰(きゅうほう)というものがあることを知りませんでした。
ネットで検索したところ、下仁田九峰とは、
稲含山、②御嶽山(兄倉山)、③螢山、④大山、⑤大崩山、⑥富士山、⑦川井山、⑧浅間山、⑨伊勢山
とのことです。

下仁田九峰には、下仁田町の最高峰である白髪岩(しらがいわ)がなかったり、荒船山や物語山なども含まれていません。

下仁田九峰の由来を調べていませんが、私の想像するところでは、下仁田町が現在の行政区域になる以前の旧下仁田町時代のとき、その旧下仁田町の区域内から見える山々のうち、御嶽信仰をはじめとする信仰の山々を下仁田九峰としたのではないかと・・・

ジオサイトのひとつ、跡倉クリッペの根無し山群は、下仁田町役場の屋上から眺めたとき右(西方)から
 四ッ又山(よつまたやま) 899m
 川井山(かわいやま) 452m
 大崩山(おおぐいやま) 461m
 御嶽(おんたけ) 576m
 大山(おおやま) 857m
 鎌抜山(かまぬきやま) 752m
 富士山(ふじやま) 555m
となっていますが、四ツ又山と鎌抜山を除く山々が下仁田九峰に含まれています。

つぎの画像は、御嶽をやや西方の方向から撮影したものです。
国道254号や下仁田の街中の北から見ることが多いと思いますが、もっと西南の方向から御嶽を眺めますと、北から見た御嶽と違った印象を受けるのではないでしょうか。
御嶽の山頂に鎮座している石宮とイノシシ(?)です。
御嶽は、全山が信仰の山になっていて、御嶽神社をはじめ、山頂までの山道のわきには、さまざまな神々が祀られています。

それらの神々は、山頂の石宮と同様に、すべてが下仁田の街中を向いています。
下仁田の街は、多くの神々に見守られているのです。

むかしの人々は、山の頂や上流部の水源地などに神々を祭りました。
山の頂や、そこの大きな岩をはじめ、水が湧き出している沢の大きな岩には、神々が天から降りてくる依代(よりしろ)といった意味もありましたが、こうした場所に神々を祭ることによって、山や水源を神聖なものにしたのでしょう。
このようにすることによって、山の木を乱伐から守り、それが水源を汚さず水源を守ることだということを、むかしの人々は知っていたのです。

神々をお祭りすることは、自分たちの生活を守ることだということを知っていたからこそ、神々を祭った場所をきれいに保ってきたのです。

跡倉クリッペの根無し山群は、下仁田ジオパークのジオサイトとして、多くの方々に訪れていただいていますが、どうぞ、つぎのことにもご留意していただいて、自然観察を楽しんでいただければ幸いです。

① ごみの持ち帰り←山の多くは、民有林です。ごみを散らかしたり、山が汚されることがあれば、立ち入りが禁止されることにもなりかねません。
また、多くの山々には、神々が祭られていますが、これは「山々(水源)を汚さないでください」という先人からのメッセージでもあります。
   かならず、ごみを持ち帰ってください。
② 火の用心←寒くなってきますと、山でコッフェルやラジウスなどを使って、お湯を沸かしたりすることもあろうかと思いますが、まわりの枯葉や枯草などの状況も確認して、山火事を起こさないように気をつけてください。
   きちんと火の始末をしてください。
③ 植物などは採集しない←私たちが何気なく見ている植物の多くは、苛烈な生存競争を経て、子孫を残そうとがんばっているのです。
   大切に見守ってあげてください。

※ お願いの①~③については、すべてのジオサイトでもお気をつけいただきますよう、どうかよろしくお願いいたします。

2013年9月25日水曜日

まちづくり-街並み

宮本町通り&富岡製糸場前通り

先日、買い物に出かけたとき、つい最近建物を取り壊したらしく、解体業者の方が整地作業中の現場前を通りました。
その通りは、買い物のとき、よく通っていますので、取り壊された建物のことを覚えているはずなのですが、取り壊された建物をすぐに思い出すことができませんでした。
取り壊された建物は、すっかり通りの風景の一部として溶け込んでいて、ことさら意識することがなかったということかもしれません。

建物が取り壊され、新たな建物がつくられ、街並みが変わっていくこともあれば、外壁や屋根などの改修工事などによって、街並み-まちの顔、表情-が変わっていくこともあります。

地震による倒壊、大きな火災による焼失等によって、街並み全体が急激に変化する場合もありますが、個々の建物の取り壊し、新築、改修工事などによって、すこしずつ緩やかに変化していく場合もあります。
多くの都市や農村などでは、後者による変化によって、すこしずつ表情を変えていくことになります。

私が富岡市の景観資源調査隊、景観形成のガイドラインづくりに参加させていただいたころの風景をもとにして、街並みがすこしずつ変化しているようすをご紹介します。

① 富岡製糸場前通り

2007年ころ、富岡製糸場の見学者を見込んでの店は、いくつかできはじめた程度でした。
同じ位置からの写真でありませんので、変化がよくおわかりいただけないと思いますが、富岡製糸場前通りや周囲には、
「かりんとう饅頭」の店など、いろいろな店がオープンしました。

② 宮本町通り

区画整理事業の中止によって、空き地となってしまった土地に県立富岡実業高校の生徒さんが花壇などをつくっていました。

※ 花壇づくりのようすについては、昨日のブログをご覧ください。
 
         世界遺産候補-イコモス  世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」
いま(下の画像)は、蔵をはじめ周囲の外壁などの改修工事が実施され、美しい姿になっています。
この写真を撮影したとき、蔵の中には、たくさんの絵手紙が展示されていました。
宮本町通りの商店街の一角に、こうしたものがあることは、富岡市を訪れた方々-観光・買い物-が〝まちなか散策〟を楽しむことができ、とてもよいことだと思います。

以前、このブログで安中市の街並みを紹介
         http://geogunma.blogspot.jp/2013/09/blog-post_16.html
        八重の桜-新島襄 「安中は当然、登場するのでしょうね」
しましたが、こうした場所があることは、ほんとうによいことだと思います。

下の写真は、宮本町通りの「まるいち」の店内です。
この店では、椅子に座って、富岡紅茶をいただくこともできます。
買い物で歩き疲れたときのお休み場として、とてもよいところではないかと思います。

下の写真は、宮本町通りです。
いちばん奥に諏訪神社の鳥居が見えているかと思います。
下の写真は、上の写真とほぼ同じ位置で撮影したものです。
写真の左側の街並みが大きく変化していることに気づきます。
「トミラク」の看板があった建物が取り壊され、その奥の店は、パラペットを取りはずして、すっきりしたスカイラインの店舗にしています。
富岡市の中心的な商店街に建物-商店など-がなく、駐車場になっているのは、土地利用というう観点からももったいないことであり、まちのにぎわいといった面からもどうなんだろう、と私は思うのですが、そのうち多くの買い物客でにぎわう店ができるかもしれません。

わずか6年ほどのことですが、このように街並みは変化していくものなのですね。
これから先、どのように変化していくのだろうか・・・と、とても楽しみです。

2013年9月24日火曜日

世界遺産候補-イコモス

世界遺産候補
「富岡製糸場と絹産業遺産群」

先に報道されたところによれば、ICOMOS委員による現地調査がつぎの日程で、実施されるとのことです。
いよいよ、明日、明後日に現地調査が行われます。

  2013.9.25(水) 富岡製糸場・田島弥平旧宅
  2013.9.26(木) 高山社跡・荒船風穴

荒船風穴(2013.6.18撮影)

富岡製糸場(2013.8.4撮影)
ICOMOS委員の現地調査後、今年の富士山の登録のときと同じ手順で、
  「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されるか、登録されないか
が決定されることになります。

      来年には、登録の可否が決定されるとのことですが、
                      はたして結果は・・・・・?????


   【これまでの世界遺産候補関連の記事です】

世界遺産候補 世界遺産登録は、地域を活性化させるか

世界遺産候補 とても気になっていること
上の画像は、以前、「世界遺産候補 とても気になっていること」で紹介した空き地のうち、富岡製糸場に向かう道に面した空き地が花などで飾られていたとき(2007.6.30撮影)のものです。
   (この画像と以前に紹介した画像(最近のもの)を見比べてみてください。
          きれいにしておくこと、それを継続することの難しさを感じます)

世界遺産候補  世界遺産に登録されると、どんな効果があるの?

2013年9月16日月曜日

八重の桜-新島襄

「安中は当然、登場するのでしょうね」

2013.9.14(土)の午後、安中市文化センターにおいて、「八重の桜」トークショーが開催されました。

中島ノブユキさん(「八重の桜」音楽担当・安中市出身)と内藤慎介さん(「八重の桜」制作統括)のおふたりによる制作にまつわる話しをはじめ、中島さんが作曲した曲を自らピアノで弾いて聴かせていただけるという楽しい時間を過ごさせていただきました。

このトークショーでは、テレビ番組の制作に関して、とても興味深い話をたくさん聞かせていただいたのですが、とくに記憶に残っているのは、内藤さんが話された安中市長からの〝要望〟のことです。

        【内藤さんの発言(※)】
大河ドラマで「八重の桜」を、と発表したところ、すぐに安中市長さんが前橋放送局長とドラマ部に来られて、
 「新島八重の夫である新島襄にゆかりが深い安中は、大河ドラマ「八重の桜」に当然登場するのでしょうね」
という〝要望〟を安中市長さんからいただいた。

 この〝要望〟にどのように応えようかと、ずっと考えてきたが、
 10/20(日)に放送予定の第42話において、新島八重・襄夫妻が安中を訪問するシーンを放送する。
 また、この放送の終わりのほうで、安中市を紹介する予定になっている。
   (※) 細かな表現については、間違いがあるかもしれませんが、発言の要旨としては、間違っていないと思っています。

私は、この話をお聞きして、安中市長の
① 迅速な行動←放送の発表後、すぐに東京のNHKドラマ部に出向いたこと。
② 適切な対応←地元の放送局を通じたこと。
③ 有無を言わせぬ押しの強さ←「当然ですよね」といい、安中を登場させないことは、最初(はな)から考えられないという姿勢。
を、たいへんすばらしいと思いました。

①の迅速な行動ですが、熱意のあるところをアピールするうえで、発表があってから相当の日数を経て、「よろしくお願いします」と出向くより、すぐに出向くほうが大きなインパクトを与えることができるからです。
こうした安中市長の迅速な行動は、ドラマを制作される方々に対して、大きなインパクトを与えたことでしょう。
むろん、一度きりのお願いでなく、安中市長は何度も足を運ばれたかもしれません。
私は、
 安中市長の迅速な行動+何度も=熱意の表れ
が、相手の心を動かすもとになっていったと考えました。

NHKの大河ドラマはもちろんのこと、テレビドラマの舞台として全国に紹介されることは、大きな経済効果を発揮するといわれています。
この効果を一時的なもので終わらせるか、効果を持続させるものにできるかは、地元の取り組みしだいといってよいと思いますが、安中の商店街などの取り組みを見たかぎりでは、これからも持続していけるのではないかと、私は思っています。
トークショーがあった土曜日の午前、安中のまちなかを散策したのですが、店先に花が飾られていたり、道路に面した植木類がきれいに手入れされていて、とても心地よい感じになっていますし、
新島襄を支援した湯浅家-有田屋-には、「お醤油さんのミルク醤油ソフト」などもあって、多くの方々でにぎわっていました。

きれいなまちなみ、ちょっとしたお休み場所に珍しい食べ物があって、とても楽しく新島襄ゆかりの場所が散策できるようになっていることは、とてもすばらしいことですし、こうした取り組みが今後も持続できれば、長続きするものになるだろうと、私は考えています。
安中市の場合、爆発的に人々が一時的に押し寄せ、その後はばったり・・・といったことにならないであろうと思っています。

②の地元の放送局を通じたことですが、これもとてもよいことです。
安中市が前橋放送局とともにドラマ部に働きかけることは、NHK全体のこととして取り組む必要があることの確認的な行為になりますし、前橋放送局が中心になって、「八重の桜」をPR-新島襄と安中とのかかわりの紹介-するイベントなどの事業を展開する大きな動機付けにもなります。

視聴率を都道府県別に調査しているのかどうか知りませんが、新島襄ゆかりの安中市を盛り立てることによって、群馬県の「八重の桜」の視聴率が高くなれば、前橋放送局としても鼻高々といったことになるのかもしれません。

放送局に限らず、いろいろな組織が設置している支店や支社を大事にし、支店や支社を通じて、いつも支援や協力を要請していく、という姿勢を持つことが大切です。

③の「当然ですよね」と言って、「八重の桜」に安中を登場させないことは、最初(はな)から考えられないという姿勢は、とてもすばらしいことだと思います。

「安中は当然、登場させてくれますよね」

の言葉の前に、安中市長は、内藤さんに対して、
すでにご存じのことと思いますが、
   と前置きしたうえで、
新島襄と八重の関係や新島襄あっての明治期の八重の活躍
   を滔々と述べたことでしょう。

こうしたお願いごとのとき、弱気な調子で
 「安中を登場させていただけますか」
と言ってはだめなのです。

やはり、自信をもって、相手に有無を言わせぬ押しの強さを発揮する、これがいちばん必要なことなのです。

「八重の桜」の放送をめぐって、安中市長-自治体の首長-の動き、その一端を知ることができ、これからさらにおもしろく大河ドラマが視聴できると思っています。

新島八重・襄夫妻が安中を訪問するシーンが、10/20(日)に放送(第42話)されるとのことです。
10/20(日)に「八重の桜」を視聴されるとき、このエピソードを思い出していただければ幸いです。


私とすれば、新島襄がアメリカで鉱山のことなども学び、理学士になったことをはじめとして、日本に帰国後、すぐに中小坂鉄山に来られたことを紹介してほしいと思っていました。
新島襄と八重のおふたりが安中を訪問するシーンの放送だけでもたいへんなことであったとお聞きし、新島襄が中小坂鉄山を訪れるシーンの放送を通じて、下仁田ジオパークを宣伝していただくことは、とても無理なことだ・・・と実感(!)したトークショーでした。

2013年3月31日日曜日投稿のブログ
  ジオサイト-中小坂鉄山  新島襄と中小坂鉄山http://geogunma.blogspot.jp/2013/03/blog-post_3766.html
をご参照ください。

 
ついでに申し上げますと、新島襄は安中の後閑で、化石採集をされたという記録が残されています。
いつか、新島襄の鉱物コレクションのことや化石採集に関して、このブログで紹介したいと思っています。

安中にお出かけの節は、
下仁田ジオパークにお立ち寄りください。
 

2013年9月11日水曜日

富岡市-もみじ平総合運動公園

あじさいきのこ

2013.9.10(火)午前、もみじ平総合運動公園で撮影しました。
初夏に楽しませていただき、いまの時期にも楽しませていただけて、たいへんありがたいことだと思います。

つぎの写真は、芝生広場で見つけたきのこです。
きのこが丸くなって生えているのがおわかりになりますか。
これを菌輪というのだそうです。
一本だけぽつんと生えるきのこ、たくさんのきのこがかたまって生える、といったものがありますが、このきのこは、丸く輪になって生えるものです。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したということですので、きのこの菌輪で、芝生に五輪のマークができていないかと思ったのですが、そこまでの輪になっていませんでした。

菌輪で五輪のマークができていたら・・・すごいニュースになることでしょう。
きょうあたり行ってみると、五輪のマークができているかもしれません。
カメラを持って、もみじ平総合運動公園にお出かけになるのもいいでしょうね。

    【お願い】
   きのこは、とてもデリケートです。
   まわりを踏み荒らしたり、きのこを傷めないように観察してください。

この日も大型バスで、群馬県立自然史博物館に多くの見学者が来られていました。

博物館内の案内ばかりでなく、公園内の植物-あじさいやきのこ-も案内して、いろいろと楽しんでいただくプログラムを用意してもいいのではないかと思います。

2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催決定は、東京ばかりでなく、日本全体での誘致運動の成果といってもよいでしょう。
もみじ平総合運動公園でも幟を立て、誘致運動の盛り上げにひと役かっていました。
2本あった幟が1本になり、残った1本の幟も痛みが激しくなってきています。
ことしの3月には、幟が2本ありました。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったことですし、破れたままの幟をいつまでも置いておくのでなく、公園管理の職員の方が、幟に「お疲れさまでした」と労をねぎらったうえで、屋内に保存してはいかがでしょうか。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックのとき、「誘致運動で使用した幟です」と富岡市立美術博物館で展示すれば、すばらしい展示物のひとつになることでしょう。

 ※公園の美観保持といった観点からも、早くに撤去したほうがよいと思います。
 
これで、きょうのブログを終わりにしようと思ったのですが、きのこの名前を申し上げていませんでしたね。

 ハラタケというきのこで、食用になるきのこです。
 ※ もみじ平総合運動公園では、「見るだけ、とってよいのは写真だけ」にしておきたいものですね。

蛇足かもしれませんが、きのこの誤食事故が発生する時期です。
食べられるかどうかは、素人の私の言を信用せず、きのこの専門家などに確認していただくなど、慎重に判断をなさってください。

2013年9月8日日曜日

南牧村-青木石材店

椚石(くぬぎいし)の捕獲岩

2013.9.7(土)の午前、椚石に含まれる捕獲岩の調査で、甘楽郡南牧村大字磐戸の青木石材店におじゃまさせていただきました。
左:青木石材店の青木清二さん
          後ろ向き:下仁田自然学校運営委員の中島啓治さん
                           右:荒船風穴・ジオ応援団員の岩井実さん

   ※ 青木石材店に関しては、青木石材店のホームページをご覧ください。
            http://www.nanmoku.biz/~aokisekizaiten/
      青木石材店のアイデア商品については、
             南牧村のオアシスなんもくでお買い求めいただけます。

捕獲岩(xenolith)とは
 「火成岩中に含まれる別種の岩石片。
 これには母岩と成因的に同源の岩片である場合(オートリスまたは同源捕獲岩)と
 成因的に関係のない岩片の場合(外来岩片または外来捕獲岩)とがある。
 狭義の捕獲岩は後者の意(地学事典・平凡社)」
と説明されているものです。

椚石に含まれている捕獲岩のいくつかを紹介しましょう。
母岩は、火成岩である安山岩が変質を受けたものです。
さまざまな捕獲岩が含まれています。
上の画像の左右と下に見えるのが母岩になります。
下の画像のの色が灰色に見える部分が捕獲岩です。
捕獲岩は、地下からマグマが上ってくるとき、一緒に運ばれてきたもので、捕獲岩を調べることによって、いろいろなことがわかってきます。

今後、下仁田自然学校運営委員の中島啓治さんによって、薄片づくり、顕微鏡での確認作業等が行われ、椚石に含まれている捕獲岩のことが明らかにされます。

青木石材店の石切り場の前にある山の神の碑と石工代々の碑です。
作業の安全祈願とともに、椚石一筋に生きてきたご先祖様を敬う青木清二さんの思いがこもった碑です。
     【お願い】
 青木石材店の石切り場、作業場には、無断で立ち入らないでください。
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下仁田自然学校では、多くの方々のご協力を得て、
下仁田地域の地質に関する〝なぜだろう・・・?〟を
解き明かすための活動を行っております。 
下仁田自然学校で、ともに活動しませんか。
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2013年9月4日水曜日

季節の花-サボテン

大きなサボテン【富岡市神成(かんなり)】

まずは、この写真をご覧ください。
神成山登山口にあるお宅の庭先のサボテン()です。

このサボテンですが・・・
こんなにも大きいのです。

神成山に登るときなど、何度かこの大きなサボテンを見させていただいているのですが、花が咲いているときに見させていただくのは、初めてのことであり、たいへん感激してしまいました。

ここまで大きく生長させることは、たいへんなことであったと思いますし、大きく育てたサボテンを守ることは、もっとたいへんなことだと思うのです。

  神成山(かんなりやま)については、このブログの
       http://geogunma.blogspot.jp/2013/04/blog-post_11.html
  下仁田ジオ豆知識  下仁田構造帯について  (その4) をご覧ください。

神成山は、たいへんきれいなハイキングコースでも有名です。
これから秋になってきますと、紅葉も楽しめます。
神成山を歩かれるときは、ぜひ大きなサボテンをご覧になってください。

この大きなサボテンの〝子ども〟かもしれませんが、この神成地区では、何か所かで大きなサボテンを見ることができます。
支柱に支えられ、生長しています。
こちらは、建物の壁を利用して生長しています。 
これは、建物のところで咲いていたサボテンの花です。
とても美しいですね。

つぎの画像は、このサボテンがある神成地区で撮影したものです。
神成山の岩肌をバックに並ぶ七福神の石像です。

このほか、神成地区には、「石坪(いしつぼ)の池」という水がわきだしている池もあります。
この池には、ハスが植えられていて、花が咲くころには、たいへん美しい池になります。

※ この画像は、きのうの朝に撮影しました。サボテンの花は、一般的に開花時期が短いといわれていますが、まだこの先も見られるかもしれません。
 どうぞ、富岡市神成の大きなサボテンの花を見にお出かけください。

2013年9月3日火曜日

まちづくり-となりのトトロ

「となりのトトロ」に描かれた
やさしさ・地域のつながり

いま、たびたび痛ましい事件や、とても切なくなってしまうようなが起きていますが、そんなニュースに接したとき、どうしてこんなことになってしまったのかな・・・と、私は悲しい気持ちになります。

小さな子どもやお年寄りが被害にあわれたニュースなどが報じられますと、とても暗い気持ちになってしまいます。

そんなとき、「となりのトトロ」の曲を聴き、サツキちゃん、メイちゃん、トトロや猫バス、里山、田植えなどの農作業、鎮守の杜をはじめ、そこで暮らしている人々の姿などを見ていますと、なぜだかふさいでいた心が明るくなるというか・・・気持ちが明るくなってくるのです。

私が子どものころも、いろいろな事件があり、多くの人々が悲しくなるできごとがなかったわけではありません。

しかし、「となりのトトロ」で描かれている時代が懐かしく感じられるのです。
ノスタルジー、郷愁ということかもしれませんが、「となりのトトロ」で描かれている風景などは、私が子どものときとまったく同じなのです。

宮崎駿監督の作品は、すべての作品が好きですが、私のお気に入りは、なんといっても「となりのトトロ」です。
それは、サツキちゃん、メイちゃんのかわいらしさ、トトロや猫バスなどの活躍もさることながら、「となりのトトロ」で描かれている里山、田植えなどの農作業、鎮守の杜をはじめ、そこで暮らしている人々の姿が、私の小さかったときとまったく同じだからかもしれません。
これは、私が好きな場面のひとつです。

急に雨が降ってきて、地蔵様のところで雨宿りをしているサツキちゃんとメイちゃんに、勘太(カンタ)くんが傘を差しだしている場面です。
「となりのトトロ」をご覧になっている方は、これまでの勘太くんの行動-素直にやさしさを表現することができない-をご存知だと思いますが、破れて穴があいている傘をサツキちゃんとメイちゃんに差し出すことによって、勘太くんがすこしずつ素直にやさしさを表現できる少年に変化していきます。

このあと、サツキちゃんとメイちゃんが勘太くんの家に傘を返しに出向きます。
照れて、サツキちゃんに傘を貸したと母親に言えなかった勘太くんのかわいいい少年らしさ、竹ひごの模型飛行機を持って、部屋のなかを飛び回る姿が描かれますが、それは、これからサツキちゃんに対して、素直に接していける、そう思った少年の喜びがあふれている場面なのです。

破れた傘、当て布のある半ズボン・・・豊かな生活ではありませんでしたが、困っているサツキちゃんとメイちゃんのために、傘を差しだし、自らは雨のなかを走って帰る勘太くんの姿は、あの当時の多くの少年の姿であり、「となりのトトロ」で描かれている時代には、珍しいことではなかったと思うのです。

つぎに、私が好きな場面は、メイちゃんを探す溜池での場面です。
この捜索の場面には、パトカーも消防車も警察官・消防官も登場していないのです。

いまの時代であれば、小さな女の子がいなくなった、といった〝事件〟が発生すれば、すぐに住民が110番に通報して、たくさんの警察官-鑑識や警察犬をはじめ、場合によっては、ヘリも・・・-が捜索に動員されて、この溜池のまわりを立ち入り禁止にして、大がかりな捜索を展開することでしょう。

私が子どものとき、山火事が発生したのですが、誰が指揮するでもなく、おとなは手に手にスコップやのこぎり、斧などを持って、山火事の現場に走って行きました。

私が子どものころは、どこの家にも電話がある、といった状況でなく、消防署の望楼で見張っている署員が煙を発見して、消防車を出動させるといった時代でした。
このような状況でしたので、初期消火は地元の人々と地元の消防団員が行わざるを得なかったという実情もあったのですが、実に手際がよいおとなの行動をいまでもよく覚えています。

となりのトトロでも、サツキちゃんが勘太くんに案内され、電話を借りに出向く場面がありますが、私が子どものころは、そんな状況でした。

ですから、警察署や消防署に通報することよりも、

 子どもがいなくなったときは、とにかく早くに見つける、
 なにごとをおいても駆けつけて、早くに火を消す、

といったことが、なによりも大事なこととされていました。

いまは、痛ましい事件があとを絶ちませんので、まず事件性のこと-手がかり・証拠の保全-を考えて、
 捜索のためとはいえ、住民が溜池をさらう、といったことなどをしてくれるな、
という警察署や消防署からの〝お願い〟があるのかもしれません。

いま、全国各地で、まちづくりが模索されていますが、私たちが暮らすうえで、

 いちばん必要なものは、なんだろうか・・・

と考えたとき、

 自分は濡れてもよい。このふたりのために、役立ちたい、と思い傘を差しだす〝やさしさ〟

であり、

確かに、いまの時代は、なにかあれば、それは事件ではないか、ということを想定することも必要であり、住民が勝手に捜索しないほうがよい、という時代になっているのでしょうが、こうした捜索のことは別のことだとしても、

 自分たちの地域のできごとに対して、
 自分たちでできることは、がんばってやってみよう、
 皆で支え合って生きよう、
 そんな気持ちを共有すること

ではないかと思うのです。

つぎの場面も好きな場面のひとつです。
勘太くんがサツキちゃんに「溜池で靴が見つかった。でも、メイちゃんのものかどうかわからない」ということを〝三角乗り〟の自転車で急報する場面です。

勘太くんがサツキちゃんとメイちゃんのために大奮闘する場面です。

「となりのトトロ」は、勘太くんのやさしさをはじめ、勘太くんがやさしさを表現する能力を学びながら成長する物語でもあるのです。

宮崎駿監督が引退される、とのニュースが報じられていますが、〝宮崎アニメ〟のファンとして、とてもさびしく思っています。

おそらく、これから先どのような時代になろうとも、

 やさしさ、
 地域のつながり、
 このふたつは、私たちの暮らしを支えるもっとも基本的なものとして、ずっと受け継がれていかなければならないもの

ではないか、と私は思っています。

 
  やさしさ、
 地域のつながり、
が基調になって、いろいろなまちづくり事業、プログラムが実施されれば、
大きな成果をあげるまちづくりとなるのではないでしょうか。

※ 最後にどうでもよいことを・・・
 
  勘太くんの〝三角乗り〟ですが、かつて勘太くんと同じ〝三角乗り〟をした私の経験からは、両手でハンドルを持っていては、自転車に乗っていられないのではないか・・・と思います。
  私は、右手でサドルを抱え込み、その右手で自分のからだを自転車に〝固定〟していました。