2014年12月29日月曜日

富岡製糸場と絹産業遺産群-1987.3.5を覚えていますか?

ひっそりと終止符

1987.3.5は、片倉工業富岡工場の閉所式が行われた日です。
ひっそりと終止符は、1987(昭62).3.6付けの上毛新聞の見出しから引用させていただきました。

1987.3.5、片倉工業富岡工場内では、社員だけで閉所式が行われ、地元の富岡市長は、片倉工業富岡工場近くのお寺で鐘を撞いていました。
富岡市長は、片倉工業富岡工場の閉所式に招かれませんでした。
このころに仄聞したところによれば、片倉工業と富岡市行政は、良好な関係になく、どちらかといえば険悪な関係にあったそうで、それが社員だけの閉所式になった原因・・・ということでした。
片倉工業と富岡市行政が険悪な関係であったかどうかは知りませんが、長年の間、富岡市内で操業していた工場が操業を停止するとき、住民代表として市長が式に参列し、感謝とお別れのことばを述べるのが〝一般常識〟ではないかとの多くの市民の思いから、「片倉工業と富岡市行政は、険悪な関係なんだってよ」といったうわさが広まったのかもしれません。
操業停止からおよそ10年後の新聞記事です。

片倉工業相談役のコメントが紹介されていますが、
 ① 固定資産税を含めた維持費→7、000万円~8,000万円/年
 ② 建物などの重要さを認識している
 ③ 文化財としてわずかなお金をいただくより、企業の責任において保存、後世に伝える
といった趣旨の内容になっています。

そして、2006年には、片倉工業が富岡市に土地を売却する契約を結びます。
このときの契約額は、16億3千万円とのことでした。
片倉工業富岡工場が「ひっそりと終止符」を打ったあと、片倉工業が守り抜くといっていた建物などが富岡市に売却(建物は、富岡市に寄贈したとのことですが、建物は維持管理に莫大なお金がかかる〝負の財産〟と考えれば、土地とひっくるめて売り払った、というのが常識的な見方ではないかと思います)され、富岡市の所有になり、2014年(操業停止から27年後)には、よもやの世界文化遺産登録となり、さらには一部の建物が国宝に指定されるという、たいへん驚くべきことになりました。
世界文化遺産登録決定後、旧官営富岡製糸場は物見高い人々が訪れ、たいへん賑やかになりました。

この賑やかさがいつまで続くのか・・・・
ある人の予想によれば、来年5月の連休ごろから急速に来場者が減るだろう、ということでした。

来年の夏休みには、富岡市内の商店主らが
 今年は、お客さんが少ないね・・・ 
 これじゃ、商売あがったりだ!
とぼやくようなことになっているかもしれません。

また、来年あたりからは、来場者数の減少と世界文化遺産の維持・保全のための富岡市の財政負担をめぐって、片倉工業が方針転換をした経緯をはじめ、いろいろな〝裏話〟が聞こえてくるかもしれません。

富岡市に住むある女性は、
 引っ越すお金があれば、富岡市以外の土地に引っ越したいな。
 だって、高齢者が増えて、そうでなくてもたいへんなとき、製糸場に莫大な予算が必要になるわけでしょう?
 そのうえ学校給食費を無料(無料化については、議会で否決されています)にしよう、
   なんて言っているひとがいる市だから。
 このまま進めば、私たちへの福祉施策の予算は、どんどん削られていってしまうよね。
    と、ため息まじりに話されました。

これから富岡市は、いったいどういう方向に進むのだろうか・・・

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