2016年1月31日日曜日

地方創生、地方創生というけれど

真に実効性がある総合戦略になっているのだろうか・・・

2016.1.30(土)付けの上毛新聞に、嬬恋村の総合戦略の記事が掲載されていました。
嬬恋村では、日本ジオパークの認定を目指し、ジオパークをもとにした観光資源の発掘などを行うというものです。
私は、この記事を読んで、たいへんうれしくなりました。
といいますのは、昨年の夏、浅間山ジオパーク構想推進協議会の皆さんが下仁田に来られたとき、私が案内をさせていただいたのですが、下仁田に来られた皆さんは、一生懸命にジオパーク構想を推進しようという熱意にあふれていて、とてもすばらしい方々だったからです。

浅間山ジオパーク構想推進協議会の皆さん
よ う こ そ! 日本ジオパークの町・下仁田へ (2015.8.13) 
http://geogunma.blogspot.jp/2015/08/blog-post_13.html

これまでに新聞に掲載された県内市町村の総合戦略に関する記事を読んでいて、どこの市町村も同じような内容であり、これといった特色もなければ、いまの時代状況をしっかりふまえて、これから先の時代を展望した総合戦略になっているかといえば、そんなことはないだろうな・・・と感じるものばかりだと思っています。
上毛新聞
新聞記事で読む限りですが、どこということなく県内市町村全体にいえることは、総合戦略、その全体的な内容について、がんばるぞという気持ちがこもっていないというのか、行政職員が住民と討議して、きちんとまとめあげたという熱気のようなものが、私にはまったく感じられないのです。
2015.11.27 上毛新聞
実際のところはわかりませんが、どこかのコンサルタント会社に委託して、総合戦略をつくってもらっているとすれば、あまりというか、まったくといってよいかもしれませんが、意味があるものということができないのではないかとも思うのです。
2016.1.19 上毛新聞
地方創生というかけ声のもと、急ごしらえで住民などを構成員にした協議会をつくり、そこで討議して、総合戦略をつくったかのようにして、コンサルタント会社作成の作文を総合戦略にしているとすれば、まったく無意味といってよいかと思うのです。
上毛新聞
ここで紹介した自治体については、
たまたま・・・というだけで、まったく他意はありません。

私が申し上げたいことは、
 それぞれの自治体の状況に応じて、もっと特色ある総合戦略があるのではないか、
 地方創生、地方創生というかけ声などの前から、きちんと住民の方々と話し合ってきていたり、
 いろいろなことを住民とともに行政が実践してきていれば、
 もっと独自性のついよいものがつくれるのではないかということ、
そういうことなのです。

たとえば、下仁田町の場合、世界文化遺産と日本ジオパークの町として、これらを活用した総合戦略-将来のまちづくり-があってよいと思うのです。
「下仁田ブランドで農業振興」もよいと思いますが、「館林ブランドの農産物・土産品開発」といったことは、どこでもやろうとするもので、いわば〝ありきたり〟のものであり、なんら真新しさもなければ、まったくといってよいほどインパクトのある施策といえないでしょう。
館林の場合は、〝たぬきのまち〟として、「西の阿波×東の上州・館林」をアピールした観光開発をするとか、館林全体をたぬき一色にして、たぬきといえば館林といわれるようにすれば、とてもおもしろいのではないかと思います。

そうしたなかにあって、嬬恋村の総合戦略は、これからの時代に向けて、地元のお宝を活かそう、磨き上げていこうという思いが感じられて、とてもよいものではないかと思いました。

それにしても日本中で、総合戦略をつくっているのでしょうが、真に実効性がある自治体の戦略は、いったいどれだけあることだろうか・・・と、そんなことをぼんやり考えている昨今です。

地道にこつこつやってきた自治体には、明るい未来が期待できるだろうけれど・・・-地方創生
付け焼刃、一夜漬け・・・のようなことで、明るい未来がやってくるものだろうか?
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_31.html

いつの時代も大事なことは、地道にこつこつやっていること、日々の積み重ねではないかと思うのですが・・・

2016年1月30日土曜日

よく見なくては!!-大日堂・遍照寺

たいへん迂闊なことでした

きのうのブログ記事(↓)

現代であれば・・・鉄道ファン、それも撮り鉄だろうか?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_29.html

で、

 あすのブログでは、上野名蹟図誌の図を見ていて、もっと私が驚いたことを紹介したいと思っています。

と予告させていただきましたが、その驚いたことを紹介いたします。
いったいなにに驚いたかということですが、この図を見て、
 これは、私の生家から見た大日堂と遍照寺だ!!
ということがわかったからです。

私の生家は、鐘楼門前の道を通り、図の右下にある橋を渡り、大日堂と遍照寺を見下ろす位置にありました。
正確な年代は把握していませんが、この地で江戸時代からご先祖様が暮らしていたと父母から聞いていましたので、この図が描かれた明治30年代には、この図を描いたと思われる地に私の生家があったことになります。

それと、もうひとつ驚いたのは、道路が鐘楼門前で折れ曲がっていることです。
撮影:2015.3.31(火)
いまは、この画像でおわかりのとおり、鐘楼門のわき(画像の左)に道路ができています。
境内が道路になった時期は知りませんが、すくなくても上野名蹟図誌の図が描かれていたころは、この鐘楼門前を右に折れ曲がっていた道しかなかったということになります。
私が子どものころには、鐘楼門わきの道路を往還とよび、こちらがメインの道路になっていました。
私が子どものころ、すでにバス路線があって、富岡駅や安中駅、磯部駅を結んでいましたが、上の図にある鐘楼門前の道路を歩いて、時折行商の方が荷物を担いで、富岡方面から歩いてきたこともありました。
上の図にある鐘楼門前の道路は、かつて大日堂と遍照寺のある黒岩村と富岡町(当時)を結ぶ幹線道路であったのでしょう。
ずいぶん前のことになりますが、この道を私の生家から歩いて、富岡に行ったことがあります。
そのころでさえ荒れ果てていましたが、ある程度の道幅もまだ確認できましたし、ところどころに荷車がすれ違うためのものか、待避所らしきものもあって、かつては多くの人々が行き交った道であったらしい雰囲気がいくらか残っていました。
ずいぶん前でも荒れ果てていましたので、いまはだれも歩くことがないでしょうし、もっと荒れ果ててしまっていると思います。
新しい道がつくられ、それが便利なものであれば、そちらが利用され、それまで利用されていた道は忘れ去られてしまうこと、これはいたし方ないことでありますが、とてもさびしいものを感じます。
撮影:2015.3.31(火)
きのうのブログ記事で申し上げましたが、上野名蹟図誌の図を見ていて、むかし描かれた図には、いろいろな情報が盛りだくさんに詰まっていることに気づいたのですが、きのうのブログの件と今回の件は、
 図や資料については、やはり細かく見ていく、
  それも原本(復刻版が原本かどうかは別にして・・・)に
   あたってが基本である
ということを再認識できた一件となりました

それにしても、大日堂と遍照寺の図は、群馬県北甘楽郡史に掲載されている図で何度も何度も見ていたのですが、この図が描かれたであろう位置をはじめ、当時の道路事情について、なにも気づかなかったことを迂闊なことであったと大いに恥じているところです。
北甘楽郡史に掲載されている図が小さくて不鮮明であったとしても、注意深くよく見れば、わかったはずなのに・・・と、驚いたあと大いに反省しているところです。

2016年1月29日金曜日

現代であれば・・・

鉄道ファン、それも撮り鉄だろうか?

先日、あるお宅で、「上野名蹟図誌」の復刻版を見せていただきました。
早速、上野名蹟図誌を古書店で購入し、この図誌に収められている図を細かく見て、たいへん驚いてしまいました。
それは、たんに社寺などの建物が描かれているだけでなく、随所に蒸気機関車(以下、タンクエンジンといいます)と客車までもが描かれていたことでした。
これは、富岡市七日市の蛇宮神社が描かれている図ですが、黄色い矢印の先には、タンクエンジンと客車が描かれています。
その部分を拡大してみましょう。
「富岡市史(近代・現代 通史編・宗教編」の151頁には、明治36年(1903)当時、上野鉄道(上信電鉄の前身)が使用していたタンクエンジンが6輌であったと記述されています。
この絵(もとの図は、銅版画だそうです)が描かれたのは、明治34年(1901)となっていますので、明治30年(1897)9月25日の高崎・下仁田間が全通直後ともいってよい時期であり、まだまだ珍しかったということもあったのでしょうが、とても精密に描写されていることから想像して、この絵を描いた作者は、相当にマニアックな方であったのではないだろうか・・・と思っています。
実は、上野名蹟図誌の図については、いろいろな図が群馬県北甘楽郡史 に引用されていて、これまでに何度となく北甘楽郡史で見ていたのですが、印刷があまり鮮明でないうえ、図が小さいこともあって、これらの図に上野鉄道時代のタンクエンジンと客車が描かれていることに気づきませんでした。
これが北甘楽郡史に掲載されている蛇宮神社の図です。
なぜ、私が絵を描いた方を相当にマニアックな方と思ったかといいますと、下の宇藝神社の図を見たとき、『この作者は、いまなら取り鉄だ!』と感じたためです。
 黄色い矢印の先がタンクエンジンと客車です。
たしかに宇藝神社前を通っていますが、線路と神社の距離を考えるとき、わざわざ描かなくてもよいのではないかと思えるほど離れています。
明治30年代には、日本中で鉄道が敷設されていく、そんな時代であり、物珍しさもあったかもしれませんが、この絵の作者は、現代であれば差し詰め撮り鉄といったところではないかと想像してしまいました。
これらの絵の作者は、描かなくても支障がないタンクエンジン、客車を隅のほうに描く(どうしても列車を絵のなかに描きたいと思い、わずかな隙間のような場所に描いてしまった)ほど、熱烈な鉄道ファン(そのはしりのような人物)であったのではないでしょうか。
下仁田町の常住寺の図では、タンクエンジンと客車はもちろんのこと下仁田停車場、それに線路までも細かく描いていて、とても見事な図になっています。
明治36年(1903)に使用していたタンクエンジン6輌のうちの1輌かどうかわわかりませんが、上野名蹟図誌に描かれていることから読み取れる情報量の多さに驚いています。

今さらではありますが、むかしの図などを見るとき、その細部までをもよく見ること、その大切さを痛感した上野名蹟図誌でした。

あすのブログでは、上野名蹟図誌の図を見ていて、もっと私が驚いたことを紹介したいと思っています。

2016年1月24日日曜日

リピーターを確保したいのであれば-旧富岡製糸場

ヘルメットなし・見学料なしでOKの見学施設にすべきでは?

きのうのブログ記事(↓)

どっちが正しいのでしょうか????-世界文化遺産
   貸出料・・・? 見学料・・・? - 旧富岡製糸場
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_23.html

で、旧富岡製糸場の西繭倉庫の修理保存工事を見る際の料金について、
 ヘルメットの貸出料・・・?
なのか
 見学料・・・?
なのかという疑問を紹介しました。

きょうは、旧富岡製糸場のリピーターを確保したいのであれば、ヘルメットなし・見学料なしでOKの見学施設にすべきではないかという私の考えを述べさせていただきます。

見学施設内の撮影は禁じられていますので、一般公開された日にNHKで放送された映像をもとにさせていただいて、私の考えを述べていくことにします。
画像① → ほっとぐんま640は、群馬県民の多くが視聴している人気番組です。
画像② → 見学場所からの眺めになります。画像②には、作業している方々が写っていませんが、これに続くカットでは、作業しているようすが写っています。
私が見学施設に行ったときは、私に見える範囲には、作業されている方々はいませんでした。
画像③ → どの角度から撮影したのかわかりませんが、私が見学施設で見た感じでは、この場面は一般の見学場所から見ることができないのではなかろうかと思われます。
画像④ → 改修工事公開の背景として、リピータの確保があるとなっています。
画像⑤ →  入場者数が減ってきた状況が紹介されています。
画像⑥ → 世界遺産の維持管理には多額の費用が必要となり、そのための財源を確保するうえで、観光客の確保が欠かせないというものです。
画像⑦ → 姫路城の修復工事での公開施設、その内部のようすが紹介されました。
画像⑧ → 姫路城では、こうした取り組みによって、リピーター客の呼び込みに成功したということも紹介されました。
画像⑨ → ここがメインとなる西繭倉庫の見学場所です。(画像②を参照)

それでは、私の考えを述べます。

1 ヘルメットなしの見学施設にすることについて
 画像⑦・⑧をご覧いただくとおわかりになるとおり、姫路城の修復工事では、見学者はヘルメットをかぶらずに見学できるようになっていました。
 私は旧富岡製糸場の西繭倉庫の見学施設に入ってみましたが、まったく落下物などの心配はなく、ヘルメットは必要ないのではないかと思いました。
 ただ、いまの入場口の位置と動線を考えるとき、見学施設に入るまで工事中の建物のわきを歩きますので、そのときは工事現場近くを歩くことになり、ここを歩くときにはヘルメットがあったほうが安全かもしれません。
 しかし、いまの入場口を北側に移動して、直に見学施設に入れるようにすれば、まったくヘルメットがなくても支障ないと考えられます。
 また、私が経験した事例を申し上げますと、とくに女性の方(ときどき男性の方にもいましたが)には、髪形を気にされる方も多く、ヘルメットの着用が必要な工事現場内ですら、
 とてもきれいにセットしている髪型の女性 
    ねー、どうしてもヘルメットをかぶらないとだめ?髪型が・・・
 私
    申し訳ありませんが頭にけがをされますと、
    きれいに髪型をセットする土台がなくなるかもしれませんので・・・どうかよろしく。
と冗談交じりに応じたものでしたが、どうしてもヘルメットが必要な場所であればいたし方ありませんが、いまの状況を見る限り、ヘルメットなしでOKの施設にすることは、十分に可能なことであると思いました。

2 「今後も多額の費用」-見学料収入確保-について
 画像⑥に関してですが、私はヘルメットの貸し出しをやめて、貸出料なのか見学料なのかわかりませんが、現在の見学料(おとなの場合、基本的に1,000円)だけにしておくほうがよいと思います。
 ヘルメット1個の価格を考えるとき、これを平成31年秋まで(画像⑨を参照)続けたとして、200円(おとなの場合)の料金を徴収していれば、すぐにもとをとってしまうことでしょう。
 私に言わせれば、いまの追加料金の方法は、お客さんが減って、売り上げが減ってきたから、なんとかして稼ごうと思うケチな商店主-ここでいうケチな商店主とは、将来のことを考えないなど、大局的な見方ができない人物という意味です)のやり方に思えるのです。こういうことをしていますと、ますます客足が遠のき、さらに悪い方向に行ってしまい、あげくの果てには、店じまい・・・といったことになりかねないのではないでしょうか。
 ほんとうにリピーターを確保(画像4を参照)したいのであれば、ちっぽけなことで稼ごうとせず、もっと楽しく見学できる世界文化遺産にすることが大切なことであると私は思います。

3 もっと楽しく見学できる施設づくりについて
 私が思うに、修理保存工事を見学される方々のなかには、建築などに興味があって、細部のところまで見たいとか、いまの作業段階をはじめ、今後の作業スケジュールを知りたいという方が多いのではないでしょうか。
 見学施設から遠くのほうについては、見学者は自分の眼で見ることができませんので、見学施設のテレビで映像を見られるようにしておく(画像⑧を参照)とか、すでに終了した作業については、そのようすを自由に見ることができる設備を導入するとか、いつ行っても楽しめるようにしておくべきではないかと思います。
 また、見学施設内に作業内容、今後のスケジュールなどをわかりやすく掲示しておけば、
  おっ、来月には屋根の〇〇作業が始まるのか。そのときも来てみよう。
といったことになり、これこそがリピーター確保につながるのではないかと思っています。
 いまのような中途半端な見学施設であれば、私は一度入ってみれば十分だなと感じました。

4 見学施設内での撮影について
 これまでに国宝などの文化財について、その修復工事のようすを見学させていただいたとき、撮影禁止になっていたという経験がありません。
 いまの時代、むしろ見学者に撮影していただいて、それをツイッターやフェイスブックなどで発信してもらい、たくさん宣伝していただくことが得策であろうと思います。
 もちろん、そのためには、見学に来られた方々が、
  見て感動したよ!とてもよかった!!!
といった書き込みをしてくれませんと、かえってマイナス効果になってしまいますが・・・
 私は、どんどん撮影させて、それを発信、拡散させて、さらに魅力を高めるという意識で、見学施設を運営しなければ、この西繭倉庫に引き続いて、さまざまな建物の修理保存工事を今後30年もかけて行うそうですが、
 旧富岡製糸場に行ってもつまらないよ。
といった声が増えるのではないかと、そういった事態になることを心配しています。
 そのような事態になれば、リピーターどころか新規に来られる方々もいなくなってしまうでしょう。

これから先、旧富岡製糸場の維持管理をどのようにしていけばよいのか、市民ひとり一人がよく考えないといけない、そんな感想をもった西繭倉庫の保存修理工事の一般公開でした。

2016年1月23日土曜日

どっちが正しいのでしょうか????-世界文化遺産

貸出料・・・? 見学料・・・? - 旧富岡製糸場

けさ(1月23日)の読売新聞と上毛新聞を読んで、
 これは、いったいどういうことなのだろう・・・?
と、たいへん驚いてしまいました。

といいますのは、きのうから一般公開された西繭倉庫の保存修理工事の記事で、読売・上毛の2紙ともに、
 ヘルメットの貸し出し料金
となっているのですが、私がいただいた領収書には、
 見学料
と記載されていたからです。
その発行は、
 富岡市観光おもてなし課
となっていて、見学者に渡す領収書と控えの複写になっているものでもなく、発行枚数がわかる通し番号が付されているものでもないとう、なんとも公の団体が発行する領収書らしからぬものです。
そもそも
 富岡市観光おもてなし課が旧富岡製糸場の入り口でなく、
 西繭倉庫への見学施設入り口で、
 ヘルメットの貸し出しを行い、見学料を徴収しているのだろうか・・・
と、たいへん疑問に思えました。
この看板は、旧富岡製糸場の入り口(券売所近く)にあるのですが、ここに西繭倉庫の保存修理工事の見学料を明示して、
 西繭倉庫保存修理工事の見学をするときは、通常の見学料のほか、200円が追加になります
といった案内をしておくべきではないだろうか・・・、実に不親切な対応だと思ってしまいました。
それにしても、新聞報道では、
 ヘルメットの貸出料
となっているものが、
 なぜ、見学料ということになっているのでしょうか。
新聞記事を書かれる記者の方々が間違うということは、それも読売と上毛(これ以外の新聞は、読んでいないので、どのような記事になっているのか知りません)の記者が同時に間違うということは、まったく考えられないことだと思うのです。

読売・上毛新聞の場合、きのうの一般公開初日に来られて、きょうの新聞記事になったわけでしょうし、たまたま私が見学していたとき、富岡市の担当職員が取材の応対(私が目撃した取材は、テレビ局の方々でした)をしていました。
報道に携わる皆さんは、いついかなるときでも取材時に、取材内容をよく確認するはずだと思うのです。

帰宅後、1月20日の上毛新聞記事の内容と違うことが気になったので、富岡市のHPなどで確認してみました。

富岡市のHPでは、ちゃんと見学料となっていますので、富岡市が報道機関に提供した資料に誤りがあったのかどうか・・・、富岡市が意図的に報道機関に間違った情報を提供するとは思えませんが、
 上毛新聞については、1月20日と23日の記事ともに、ヘルメットの貸出料
となっていることから推測して、富岡市側から1月20日以降、けさの記事になるまでの間に、
 1月20日の記事のとき、ヘルメットの貸出料といった情報で提供してしまったが、正しくは見学料であり、申し訳ないが以後の報道については、見学料としていただきたい
というお願いをすれば、けさの記事では貸出料とならず見学料になっている、そういうことになるのではないでしょうか。

地方自治体の場合、公の施設の使用料、入場料、見学料などを徴収する場合、それを条例で定めなければなりません。
ネットで富岡製糸場条例を検索したところ、つぎのとおり(ここには、全文でなく一部を掲載)のものがヒットしました。
ネットでヒットした条例では、見学料の表中に西繭倉庫の保存修理工事の見学料の定めを見つけることができませんでした。

この条例以外の条例が富岡市にあって、旧富岡製糸場における音声ガイド機器の貸出料をはじめ、西繭倉庫の見学料などが定めてあるのかもしれませんが、私にはとても不可解な対応に思えてならない
  貸出料・・・?
          見学料・・・?
でした。

富岡市のHPにあるとおり、貸出料でなく見学料ということであり、これが富岡市の歳入になるのであれば、券売所近くの看板も書き換えたうえで、券売所で必要な入場券を販売したほうがよいと私は思います。

それは、いまのようなやり方では、券売所で入場券を購入し、さらに西繭倉庫の修理保存工事見学でも入場券を購入ということになりますと、
 これは、どういうこと・・・?!
と多くの皆さんが驚きや不信感を持つ、そんなことになりかねないと心配しているためです。

今後は、富岡市報や市議会報などに掲載される歳入・歳出、旧富岡製糸場関係の議論などをよくチェックするといった気持ちを全市民が持たないといけないかもしれない・・・と、いまそんなふうに思っているところです。

修理保存工事を見学した感想は、
のちほど紹介させていただくことにします。

2016年1月18日月曜日

絹の道を歩いてきました!

やっと念願が叶いました!!

以前、このブログ記事(↓)

そうだ!「絹の道」をたどってみよう!! 
 ということで、富岡から横浜に行ってきました  2015.12.14()
http://geogunma.blogspot.jp/2015/12/blog-post_17.html

で、八王子の絹の道を紹介しましたが、そのときは絹の道を歩いたり、絹の道資料館の展示を見ることができませんでした。

八王子の絹の道は、なかなか縁遠いものだなと思っていたのですが、先日、やっと絹の道を歩き、絹の道資料館の展示を見させていただくことができました。

きょうのブログ記事では、絹の道を紹介いたします。
幕末から明治のある時期-鉄道の開通まで-、この道を通って、横浜港まで人々が絹-生糸-を運んだのかと思いながら歩いていますと、さきの曲がり角からひょっこりと、生糸満載の大八車が現れるのではないかと、そんな気分になる道でした。
八王子市のHPです。
やっと念願が叶って、この碑にも会うことができました。
これまで本で読んだり、映像で見ているだけでしたが、実際に見ることができました。
いまは、建物の礎石やお地蔵さまなどが残されているだけですが、かつて、この地で活躍した絹商人の栄華をしのばせる大塚山公園です。
絹の道資料館の庭に咲いていた紅梅です。

きょうあたりは、この絹の道も雪で真っ白になっていることでしょう。
この道を通って、横浜港へ荷物を運んでいた時代にあっては、こんなに雪が降れば、荷物を運ぶ人々は、たいへん難儀をしたことでしょう。

この峠道を越えていった人々の息吹が聞こえてくるような、そんな絹の道でした。

とてもすばらしい道を歩くことができて、とても幸せな気持ちになりました。

2016年1月17日日曜日

鉄道文化むらに転車台を

上毛新聞の投稿欄「ひろば」に掲載していただきました!

2016.1.16(土)の上毛新聞に掲載していただいた
 鉄道文化むらに転車台を
の投稿です。
 以前から残念に思っているのは、せっかくのSLが後ろ向きに牽引されている姿を見ることです。
2012.2.4(土)
SLの魅力は 、なんといっても先頭を力強く走る、これに尽きると思っていますので、そのSLが後ろ向きに引っ張られていく姿は、とても気の毒に感じてしまいます。
※ 上の画像の煙の向きにお気づきいただけましたか。
2014.1.25(土)
やはり、SLといえば、煙をはいて、蒸気を吹き出し、シュッシュッ、シュッシュッ・・・と力強く走る姿がいちばんではないでしょうか。
どうして、SLが後ろ向きで引っ張られていくかといいますと、横川に転車台がないためです。
2015.1.5(月)
転車台があれば、横川から高崎に向かうとき、SLを先頭にすることができるのですが・・・。
とても残念でならない思いから上毛新聞に、
 鉄道文化むらに転車台を
の投稿をさせていただいたものです。
2015.1.5(月)
横川・軽井沢間が廃止になったあと、アプトの道などの整備をはじめ、鉄道遺産をもとにしての観光開発が行われていますが、碓氷峠鉄道文化むらに転車台を設置すれば、とてもおもしろいアトラクションになり、鉄道文化むらの入場者数の増加に寄与するのではないかと考えました、
トロッコ列車やミニSL、ファミリー列車など、場内には動くものがあったり、EF63形機関車の運転体験もできますが、これに本物のSLを近くで見られる、それも向きを変えたり、連結したり・・・といった作業が見られれば、鉄道ファンはもちろんですが、家族連れ-小さなお子さんなど-にも大人気となるのではないでしょうか。
SLが向きを変える作業には、入場した方々から希望者を集め、その方々が
 ヨイショ、ヨイショ
と転車台のまわりで、向きを変えるためのバーを持って、力いっぱいに押す・・・というのも楽しいかもしれません。
もちろん、モーターの動力で向きを変えるようにしておくのですが、どのくらいの人数であれば、向きを変えることができるか、といったクイズをまじえて、モーターの動力を使わず、人々の力だけで向きを変えるイベントにすれば、とても楽しいものになるかもしれません。
2015.1.5(月)
大勢の皆さんがSLの向きを変えるところを展示車両の窓から眺めたり、場内にある展示車両とともにSLを撮影するといった楽しみも生まれるかもしれません。

以前、つぎのブログ記事(↓)

観光戦略一元化-安中・みなかみ・下仁田  日本版DMO
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html

で、安中市の観光戦略を紹介したところですが、2015.1.15(金)の上毛新聞「12市のビジョン」で、安中市の取り組みが紹介されていました。

ここ横川は、中山道の要所-碓氷の関所-の地として、また信越本線の横川・軽井沢間が廃止されるまでは、碓氷峠の難所を列車が越えるための車両基地があった地として、日本の交通史や鉄道史にさん然と輝く、とても重要な機能を果たしていた地でした。

横川は、とても有名な地であり、鉄道文化むらの内容を充実して、いまよりも楽しく遊べる施設にすれば、いまよりも多くの方々がやってきて、とても賑やかな観光地になるのではないかと思います。

※ 転車台だけでなく、鉄道に関して、さまざまな楽しい遊具などを
さらに整備することも効果的かと考えられます。

2016年1月13日水曜日

投稿写真が放送されました!

NHKほっとぐんま640  2016.1.12(火)

ぐんまちゃん列車を撮影し、その写真を投稿したところ、とてもうれしいことに放送していただきました。
ほっとぐんま640は、平日の夕方に放送されている番組です。
この番組の〝好きです。群馬〟のコーナーで、絵手紙や写真、動画などの投稿作品を紹介していて、これまでにも写真を紹介していただいたことがあります。

以前に紹介していただいたときのブログ記事(↓)です。

写真投稿-NHK「ほっとぐんま640」-2015.4.20() 投稿写真が放送されました!!
http://geogunma.blogspot.jp/2015/04/nhk6402015420.html

今回、放送していただいた写真です。
手前に稲の刈り取りあとを入れて、日本一きれいなハイキングコースの山として、たいへん有名な神成山をバックに撮った写真です。
ほっとぐんま640は、群馬県内の話題、情報を得るのに最適の番組です。

ぐんまちゃん列車について、Youtubeに投稿した動画です。
ご覧いただければ幸いです。



そして、特別付録です。
特別付録は、富岡駅前にいたぐんまちゃんです。

ぐんまちゃん列車・上信電鉄に乗って、
楽しい旅をしてみましょう!!

2016年1月11日月曜日

さびしくなってきた感じがします

世界文化遺産のまち・富岡のまちなか

きのうのブログ記事(↓)

その世界遺産 いりますか?-文藝春秋二月新春号  いま住民たちは困惑している
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_10.html

で、文藝春秋二月新春号に掲載されたルポを紹介しました。

このルポに書かれていたことを確かめるべく、きのうの昼頃に旧富岡製糸場に出かけてみたのですが、きょうのブログ記事では、旧富岡製糸場前通りと宮本町通りのようすを紹介します。
この画像(↑)の奥に旧富岡製糸場があり、いちばん通行者が多い旧富岡製糸場前通りですが、ご覧のとおり歩いている方が少ないうえ、自動車も少ない感じがしました。
この画像(↑)の駐車場は、大型バスが駐車できるのですが、この日はバスが1台もなく、閑散とした状況になっていました。
旧富岡製糸場が世界文化遺産に登録されてから、この駐車場にバスが1台も駐車していないところを私は初めて見ました。
お昼どきという時間帯でしたので、チラシなどを持った飲食店の方が何人も呼び込みをしていましたが、通り過ぎる方々が多いように感じました。
きのうのブログ記事で紹介したペルシャ風煮込みうどんを食べているとき、空車(?)の人力車が通過していきました。
この画像の左側のほうに旧富岡製糸場があります。
こちらの通り(↑)は、宮本町通りといい、富岡いちばんといってよい商店街です。
富岡駅から旧富岡製糸場に向かう方々をはじめ、宮本町にある駐車場から旧富岡製糸場に向かう方々が歩く道で、旧富岡製糸場前通りに次ぐにぎやかな通りといってよいのですが、あまり人通りが多くないように感じました。
これも宮本町通りのようすですが、店で買い物をされたり、食事をされる方が少なく、観光地であれば、お土産を購入した際のビニール袋などをぶら下げているものですが、そういった方々を私は見かけませんでした。
地元では、おいしいケーキ屋さんとして、たいへん有名な店ですが、宮本町通りの店を今年の3月中旬まで休業されるとのこと。

いまの時期は、どこということなく多くの観光地において、人出が減るのかもしれませんが、世界文化遺産登録後の熱気が冷めてしまったような、そんな印象をうけた旧富岡製糸場前通りと宮本町通りでした。

これから先、旧富岡製糸場の入場者数、まちなかが
どのように推移・変化していくのか、
今、とても興味があります。