2017年5月7日日曜日

上州三原駅と線路跡をたどり歩く

群馬県嬬恋村

群馬県嬬恋村では、おとなりの長野原町とともに、浅間山北麓ジオの活動を積極的に推進しています。
2017.5.6(土)に行われた「上州三原駅と線路跡をたどり歩く(嬬恋郷土資料館などが主催)」に参加してきました。
JR万座鹿沢口駅からスタートして、およそ4kmを歩く線路跡ツアーです。
「上州三原駅と線路跡をたどり歩く」が、本日の上毛新聞で紹介されました。
私のコメントを掲載していただきました。 
上州三原駅があった場所です。
嬬恋郷土資料館ボランティアガイド会の宮﨑光男さん(画像中央)の解説をお聞きしているところです。
この駅前にあった三原屋旅館は、いまも多くのお客さんでにぎわっていて、時代が変わっても愛され続けていることは、とてもすばらしいことだと思いました。

この線路跡ツアーのあと、カツ丼・ソースカツ丼を三原屋旅館で食べましたが、
その画像については、こちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/7568nanjai/entry-12272440343.html

ここ(↑)は、スイッチバックが行われていた場所です。
この画像の手前から奥のほうの道路まで列車を機関車が押し上げ、この手前のほうに下りながら機関車が列車を引っぱって坂を上っていった場所とのことでした。
列車は、勾配(高低差)が大の苦手。
その勾配を克服する工夫として、何度かスイッチバックを繰り返して、軽井沢から嬬恋、そして草津へと列車が走っていたのです。
かつての線路跡がよくわかる場所も案内していただきました。
案内していただいた駅舎や線路の跡などは、いまは私有地になっているとのことで、
  線路跡を歩く際には、土地所有者の皆さんに
    迷惑にならないように気をつけてほしい
との注意もありました。

案内をしていただいた宮崎光男さんをはじめ、歩く際の交通整理などを行っていただいたスタッフの皆さんには、ほんとうにお世話になりました。
心から感謝を申し上げます。

ここでは、きのうの濃い内容をすべて紹介できませんが、そのなかのいくつかを。
草軽電鉄のことだけでなく、芥川賞作家の南木佳士さんの「阿弥陀堂だより」のモデルになった阿弥陀堂のことをはじめ、中居屋重兵衛のことなど、嬬恋村の歴史や文化、人物などについても、くわしく宮﨑光男さんに教えていただいたことは、とてもありがたいことでした。
それと、線路跡ツアーに参加された女性のお父さんが、草軽電鉄に勤務していたとのことで、その女性の方から草軽電鉄がなくなったあと、多くの方々が草軽電鉄から伊豆急に転属していったというお話をお聞きしたのですが、たいへんありがたい情報がいただけたと思っています。

このブログの冒頭に書きましたが、嬬恋村は長野原町とともに浅間山北麓ジオの活動を推進しています。
これからもジオと鉄道をはじめ、地域の歴史と文化の関係などについて、わかりやすく楽しいイベント--たとえば、今回の線路跡ツアー-を通じて、ますますジオの活動を深めていってほしいもの(すみません、生意気なことを申し上げて・・・)だと思っています。

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